ダン・アリエリー「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」を読んで考えたパクることへの抵抗感
ビジネスや政治の場にごまかしを持ちこませず、プライベートでも嘘のない関係を作るためのヒント満載。わかりやすい実例といくつもの実験で、不正と意思決定の秘密を解き明かす。
ダン・アリエリー「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」を読んでる。
なかなか面白い本で、なかでも興味深いところがあった。
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ダン・アリエリーらは、実験を行うためにMIT(マサチューセッツ工科大学)の寮に忍び込み、幾つかの共用冷蔵庫に、六巻パックの缶コーラと、六ドル乗せた紙皿を入れておいた。
経過を確認した結果、缶コーラは72時間以内に消えうせ、札は手つかずで残っていたそうだ。
わたしたち人間が、金銭的価値を明示的に参照しないもの、要するに亡くなった大統領の顔が描かれていないものを、すきあらば盗もうとすることが、この簡単な実験からわかる。
それでいて直接お金を盗むことは、日曜学校の一番敬虔な先生にも褒められるほど、かたくなに避けようとする。これと同じで、自宅のプリンターで使う用紙を職場からもって帰ることはしても、職場の小口現金用の現金箱から三ドル五〇セントくすねることはまずない。
たとえその足で店に駆け込み、金額はたいて自宅用のプリンター用紙を買えるとしてもだ。
これでわかることは、ひとが何かを盗むときに現金であれば抵抗(心理障壁)が強く、消耗品などのモノであれば弱い、ということだろう。
無人の野菜販売所から野菜を盗むにしろ、野菜と現金であれば野菜の方が抵抗が弱い。
スーパーで野菜が買える現金より、野菜を盗む方が気持ち的に楽。
これをネットで考えると面白い。
日々、ツイートをパクる……パクツイが発生する。
パクツイの場合、相手は経済的なダメージを受けない。
ツイートは資産価値がないために盗むことに対して呵責を感じない。
そしてデジタルデータであり、減ることがない。
無くなるのはパクツイ野郎の民度と倫理くらいのもの。コピーだから呵責を感じない。
画像のパクリも多いが、アレにしろ手軽にコピーできてしかも自分のモノとしてツイートすると言う行為は「盗んだ」と感じにくい。
盗む、と言うのは何かモノを誰かから勝手に奪うことであって、画像データーをコピーしても元画像は減らない。
別に画像に金銭的な価値を感じないし、金銭的な価値があるなら鍵でもかけとけ、と。
そしてファボられて自分も満足出来る、そしてみんなやってる。
みんなやってるからやってもいいんだ、という気持ちが倫理観を一掃する。
@ddddd_koedake1 これはあくまで他人のツイートを僕が発信するというコトなので、パクられ側は自作ネタが広まる、パクる側は名前が売れる、これは双方の利益に準じた素晴らしい方法だと思うのですが^^
— 虹パネル(CV:佐倉綾音) (@R18_Loli) 2012, 9月 3
@ddddd_koedake1 もちろん、Twitter運営がそれなりの判断を下し当アカウントが凍結などの処置を課されても構わない覚悟でパクリをやっていますし、改善する気はないです。著作権についてはアニメアイコンの氾濫するTwitterで語っても愚行かと思います^^;
— 虹パネル(CV:佐倉綾音) (@R18_Loli) 2012, 9月 3
以前に有料メルマガの文章を無断転載する人っているんだろうか?、みたいなツイートを見かけた。
有料メルマガは読む権利に対し、読者がお金を払い、買ってる。
そこら辺に転がってるブログは無料だが有料メルマガの文章には対価がある。
さて、無断転載を行うとして果たして無料ブログをパクるか、有料メルマガをパクるか。
同じ文字媒体、無断転載だが、パクる際の心理的な抵抗感はどれだけ違うだろう。
もしパクツイをする前に「このツイートは○○さんのツイートと同じものですがツイートしても構いませんか?」とアラートが出るとして、それでもパクツイの数は変わらないだろうか。
あるいはツイートに金銭的な価値が出たとすればそのとき他人のツイートを無断でパクるだろうか。
人間の倫理観や自制心を発動させるには、たった一言でも効果はあるのだが。
ダン・アリエリー「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」は読み終わったらまたいずれ。
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