小熊英二『1968』に「当時の若者はビートルズなんか聞いていなかった」と書いてあったそうで、そこを発信源にネットでそこそこ広まっております。
ほとんどの若者はビートルズを否定していて、ブームは、あとから誇張したものだ、と言うことらしいのですが。
ではここで、笠井潔氏のツイートをどうぞ。
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序文では小熊英二の『1968』を批判的に検証した。68年体験世代の多くは、この本に否定的で、もろもろの事実誤認を指摘していたが、根本的な批判はなされていない気がする。小熊の68年史観のベースは、日本近代の「遅れ・歪み」を強調した戦後啓蒙主義で、その背後には講座派経済画がある。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
序文:自著「テロルの現象学」の序文
もっとも、小熊が講座派まで参照しているかどうかは疑問で、念頭にあるのは丸山眞男的な戦後啓蒙主義だろう。日本の68年で葬られ、さらに80年代の日本型ポストモダニズムや、そこから派生した2000年代のオタク文化論でも過去のものとして無視されてきた戦後啓蒙主義。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
この点で『1968』は、60年代ラディカリズムとその頽落形態が主流だった、過去40年の文化状況にたいする「反動」として理解できる。しかも小熊的「反動」に、非暴力的デモの原理主義化という点で、柄谷行人をはじめ、68年世代の高橋源一郎や坂本龍一までが迎合している。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
小熊によれば、日本の68年に「文化革命」の要素はなかったそうだが、これも捏造である。「文化革命」というと大袈裟だし、中国文革のニュアンスが紛れこんでくるので、サブカルチャーとラディカリズムの融合くらいにしておいたほうがいいが。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
なにしろ日本は後進国だから、学生活動家が欧米先進国のようにビートルズを聴いていたりしたら論理が破綻するわけで、小熊は日本にビートルズ世代なと存在しなかったと強弁する。その例証として亀和田武のエッセイを引用するのだが、これも文脈を無視し内容を歪曲している。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
亀和田武:1949~ 雑誌編集者、作家
60年代アメリカンポップスのファンなので、それを破壊したビートルズは嫌いだと亀和田はいう。その文脈で、当時は橋幸夫なんかを聴いていたはずの団塊多数派が、あとになってビートルズ世代などと称しはじめた事実を皮肉っている。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
そのように書いている亀和田は当然、シェリー・フェブレーやジョニー・ソマーズも、ビートルズも(好き嫌いはともかく)聴いていたはずで、しかも本人は活動家だった。ラディカリズム化したサブカルチャーの標本のような亀和田の事例によって、すでに小熊の論は否定されている。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
シェリー・フェブレー:米国の女優、歌手
ジョニー・ソマーズ:米国の女性歌手
ビートルズの「抱きしめたい」のドーナツ盤が日本で発売されたのは、中学二年の終わりだったと思う。まわりの女の子はキャーキャーいっていたが、女子向けアイドルにあまり興味はなかった。デビューしてしばらくのビートルズは、大成功を収めたにしても、たんなるアイドルグループだった。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
変わったのは、ジョージ・ハリスンがインドに行って、ジョン・レノンが「ラブ&ピース」化してからだ。ビートルズがヒッピームーヴメントやヴェトナム反戦など、60年代ラディカリズムに引きよせられたのであって、逆ではない。この辺の事情も小熊はわかっていない。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
ただし、アイドルに熱狂するというサブカルチャー的感性と政治的・文化的ラディカリズムが矛盾しないという点では、それ以前からビートルズは学生運動に影響力を及ぼしていたかもしれない。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
1967年だったと思うが、バークレーの大学占拠を学生たちは「イエローサブマリン作戦」と称していた。ハイティーンだった笠井は、なかなかセンスいいなと感心した。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
似たような感覚の学生や高校生はいくらもいたし、かなりの部分は67年以降、政治化した。それは部分的な事例で、基調はビートルズならぬ橋幸夫の後進国型だったと小熊は強弁するのだろうが、どのような分野でも尖端からフォロワーが生まれる。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
橋幸夫ファンがビートルズ世代だと自称しはじめたのが事実なら、まさにその事例だろう。その当時、笠井はビートルズよりストーンズのほうがラディカルだと思っていたが。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
季節外れの講座派的・戦後啓蒙的な小熊の論が受容されてしまう背景には、日本の衰退があるのだろう。いまや韓国や台湾に、あるいは中国やインドにも追い越されようとしている21世紀日本の現実が、過去に投影され、小熊的な68年史観に奇妙な説得力を、とりわけ事実を知らない世代に与える。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
ラジオで高崎一郎の番組などを聴き始め、小遣いでドーナツ盤を買い始めたのは中1からだ。それで思ったのだが、団塊の自称ビートルズ世代も、ホントは橋幸夫というのはさすがにないだろう。あとになってビートルズを聴くようになったとすれば、子供時代はナベプロ歌手のカバー曲だったのでは。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
高崎一郎:1931~2013 司会者、パーソナリティ
中学の教室でも、洋楽ファンは一人か二人だったが、半分以上は「シャボン玉ホリデー」を観ていた。そのあとGSブームになったし、この辺のファン層が自称ビートルズ世代の正体ではないだろうか。橋幸夫からビートルズというのは、小熊英二の揶揄的な捏造だ。
— 笠井潔 (@kiyoshikasai) 2012, 10月 13
シャボン玉ホリデー:日本テレビで放送されたバラエティ番組。1961-72
GSブーム:グループサウンズのブーム。1967-69
ちなみに初来日のチケットには約21万人以上が応募したそうです。
どこからどこまでを指し「当時の若者」「ブーム」かという線引きも難しそうですね。
小熊氏の著作を読んでないので存じませんが。
産まれる前のことは、当時を経験した方が「○○が正しい」と言えばそれが正しくなってしまう。
難しいものです。
日本でビートルズが紹介された当時、それほど聴いている人間は多くなかったという証言をよく読みますが、
渋谷陽一が中学時代、ホームルームで「ビートルズは是か非か」という討論会をしたら、1対圧倒的多数で渋谷の負けという話をよくしてました。私もそんなもんかと思ってたのですが、山下達郎は桑田佳祐との対談で「ビートルズ来日したとき僕の中学のクラス半分(武道館公演に)行った」と発言しております。