フジテレビの「27時間テレビ」はもうやめた方がいい
「テレビの危機」と題し今年も放送したFNS27時間テレビ。
テレビの危機と言うか危機なのはフジテレビじゃねーかと主語にツッコミつつ、一応ザッピングしたり合間にちょこちょこ観てた。
早朝枠の椿鬼奴とRGのバービーボーイズと言う恒例ネタは面白かったが。
でも、27時間じゃなくてよくね、それ?
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FNSが日テレの24時間テレビに対抗し24時間テレビを始めたのは1987年。
「楽しくなければテレビじゃない」をキーワードにフジテレビはバラエティのフジとして隆盛。
世間は、バブル景気の始まりを迎えつつあった。
バブル景気と「楽しくなければテレビじゃない」
ホイチョイの「私をスキーに連れてって」が同じく87年。
「欽ドン!」が終了し「ねるとん紅鯨団」放送開始。
笑いは、ドリフ、欽ちゃんからひょうきん族、とんねるず、たけしタモリさんまのビッグスリーへと変わる。
好景気と軽薄なバラエティは相性がいい。
日テレの24時間テレビによるテレビでのチャリティと言う「偽善であれやらないよりマシ」番組に対し「テレビは娯楽でしかない」と割り切ったフジの24時間は、だからこそバラエティに終始した。
日テレに対するアンチテーゼ。
このフジの長時間番組は以降、恒例行事化する。
バブルが弾けても変わらず番組は続いた。
日テレの24時間にはチャリティと言う強い芯がある。
だからたとえ陳腐化しようが続けることができる。
しかしマンネリ化し、やがてフジにあった「日テレの24時間に対するアンチテーゼ」は意味をなくす。
1998年の第12回、総合司会に中居正広。
テーマは「全国いい事しよう宣言」
翌年も同じくSMAP中居、テーマは「愛&リベンジ」
さらに翌年も同じくSMAP中居、テーマは「家族 愛 Love You」
「愛」を冠した時点で、もはやバラエティでもなければアンチテーゼでもない。
ハンパなタイトルが、フジの迷走を現してる。
なぜ走るのか?
本家、日テレのマラソン企画は1992年に始まった。
チャリティのために走るのは「日本人はマラソンに感動する」からこそで、現実的に考えるなら24時間でアフリカに井戸を掘るだとかの方がよほど建設的。
走ったら?だから何?とは言いづらい。
なにせチャリティのためですから。
走ることとチャリティは結び付かないが、日テレの24時間は、その後このマラソンを錦の御旗、メイン企画として番組を構築。
「今年は誰が走るのか?」と言う話題も名物になった。
おれはバンドをやっていた頃からよく「全く練習もリハもしてないのに、ぶっつけ本番でステージに上がる事になって、あたふたして醜態をさらす」という夢を見るのだけれど、その夢と同じような惨状が今のフジテレビで展開されている。
— DJホームラン (@muteit) 2015, 7月 26
一方、日テレに対するアンチテーゼと言うレゾンデートルをなくしたフジ。
100キロマラソン企画を2004年の加藤浩次に開始。
もちろんバラエティなので感動でもガチでもない。
バラエティなのだが真面目に走ってしまい主旨がブレる年も出る。
真面目に番組やって、チャリティもやってない。
なんのこっちゃ。
ナイナイ矢部が走る横でたけしが茶化したりする中継企画(2011年)などバラエティとしての方向性も探る。
今年の大久保さんのマラソン中継は、バラエティとしての回帰を探り、大久保七変化など挟みつつ行われたが「裏で自動車で移動してたー」などくだらないツッコミが入るくらいなら車をわざと見切れさせるくらいのあざとさ(大久保さんが全否定するみたいな流れ)が欲しかった。
面白いかどうかは別として。
テレビの危機
「テレビの本気」「テレビの底力」って冠した番組で、何一つ新しいものを提示できてないんだよね。
— 炒飯 (@GENTHALf) 2015, 7月 26
メタフィクション的な作りは既存の枠を飛び越えられず、
(フジ)テレビの危機→これまでのテレビという枠を否定し新しいものを
と言うタイトルの期待とは裏腹に
(フジ)テレビの危機→過去のアーカイヴ的な内輪の笑いと限界
を露呈する結果になってしまった。
しかも予想を下回るレベルで。
本気でフジが危機感を感じているなら27時間バラエティの放送を今年で止めて、三時間ぶち抜きCMなし(自社枠)で「本気でフジテレビがこれから生き残るにはどうすればいいのか?」とでも題してテレビの作り手と出ている人間と視聴者とを交えて鼎談する方がよほど建設的だろうに、バンジージャンプや大久保さんのマラソン、そして子どもや天素が踊るのが「(フジ)テレビの本気」だと言うのがよくわかる結果になった。
子どもダンス選手権の何が本気なのかがわからない。
それは「子供ら」の本気であって「テレビ」の本気じゃあない。
主旨がブレてる。
本気の「テレビの本気」
ほんとそれ、ビートたけしがさんまの車車庫入れ失敗とかああいうのが見たい
— 浜木綿弁右衛門 (@leplusallez) 2015, 7月 27
結局、27時間をやるのであれば「あのころ面白かったあの番組」をやるか、一切合財変えてしまうかのどちらか。
たとえばビッグスリーを揃えてタモリとさんまをメイン司会。
ベースの番組はいいとも!
そこへ欽ちゃん、ドリフ、とんねるず、ダウンタウン、ナイナイや若手などが顔を覗かせる。
過去のバラエティアーカイヴの解体と再構築。
始まりから現在までのバラエティを総決算して見せる。
何度でも言うけど、原点回帰って語感はいいけど、要は何も有効な手を見いだせないので、過去の成功パターンに回帰するって意味だからね。CXの27時間テレビの話題見てて、そう思った。
— ボヘSta. (@BOHE_BABE) 2015, 7月 27
ま、まぁ……(汗
とはいえ少なくとも今の「テレビの本気」「テレビを本気で考える」は、そういうものしかないんじゃないのかしら(正直、ビッグスリーに頼るしかないのはもう限界だけど)。
ナイナイとめちゃイケが看板を背負ってもやはり、いろいろ足りない。
ホンキーマンの時点でヤバいとわかってたが。
27時間テレビ、「テレビの危機と敢えて言ってても、内心は本人達はそこまで思ってない、でも客観的には本当にヤバい」みたいな構造になってるな。
— アートマン (@argent_ange1121) 2015, 7月 26
もうずーっと27時間テレビはおもしろくもない。
長く続いた番組を終わらせることこそ不退転の決意としての「テレビの本気」なんじゃないのかしら。
感動なんていらない。
いつも通りの笑いをわざわざやる必要もない。
「危機!」だと叫ぶ割に終始危機感が感じられない。
「今年の」27時間面白くなかったではなく「今年も」なんですよ。
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