自己啓発ウイルスの恐怖
お題がゾッとする話だったので“自称”ミニマリスト怪談でも上げようかと思ったら、お題が変わってた。
あらすじはキャンプ場にやってきたミニマリストらが次々と謎の地蔵にやられる。
実はその背後には、なんちゃってミニマリストを惨殺する真のミニマリストが。
彼はニヤリと笑いながら
「ニセモノは魔女狩りだ」
と言う話だったんですが。
ボツにしますね。
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私は失敗を受け入れることができる。誰でも、何かに失敗するものだ。しかし、私は挑戦をしないことは受け入れることはできない*1
さて最近“自称”ミニマリストも落ち着いてきた。
そういう系のブログを読んでも特に何とも思わない。
部屋の写真はモデルルームみたいだなーとか、不便そうだなーとか、ヒマじゃね?とか、こんな家に産まれたらオレはいやだなー、とか。
まぁその程度。
快も不快もない。
ところが、そういう記事を幾つか見ていて、突如出てくる偉人の名言。
あるいは生きる上での考え方、ポジティブシンキング。
いわゆる自己啓発。
これが不思議で仕方ない。
ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。*2
ミニマリストってのはモノを減らしモノの見方(価値観)を改めようという思想ですよね?
なのにどうして急に自己啓発に結び付くのか?
ミニマリストじゃない偉人の言葉を、ミニマリストの思考に無理矢理結び付ける。
全然生き方を見つめてない。
誰か見ず知らずの耳心地のいい言葉に左右されてる。
これは以前、ビジネスハック隆盛にもあった話。
仕事術は、仕事を効率的に~だけの筈なのにそこから啓発に結びつく。
急に仕事のテクニックからアドラー心理学に広がる。
仕事の話が、生き方の話全般にすり変わる。
効率性が意味性に代わる。
そして一気に怪しくなる。
ビジネスハックであれ、ライフスタイルであれ。
本来は理想的スタイルや効率的パッケージの模倣であるのにそこへ自己啓発系の思想が混ざり込み一気に胡散臭くなる。
せっかく荷物を減らして人生を見つめ直し、生き方を考えるつってんのにそこでなんで過去の名言読んで自分の人生変わった気分だけ味わってんのか、と。
変革せよ。変革を迫られる前に。*3
ほんと啓発系ってのは、ダイエット本と同じ。
ダイエット本を読んだ→満足→次のダイエット本を→満足→ダイエ
と変わらない、終わりがない果て無き渇き。
だからビジネスに啓発が絡みつきライフハックと化し、キャリアポルノ(©めいろま)と呼ばれた。
なんちゃってとの思想の大きな差は、啓発との結び付き度にあるような気がする。
“自称”ミニマリストのひとが、ミニマリスト本を何冊も何冊も読むのは(書いてあることはどれも「減らそう」なのに)以前から疑問だったが、啓発と結びついてるとすれば理解もできる。
何であれ宗教感を匂わせるのはそんな啓発の部分。
自分を励ます最上の方法。それは誰かを励まそうとすることである*4
もちろん啓発にしろ自分を前向きにするには効果はある。
必要なひともいる。
前向きな言葉を読めば、擬似的に快楽がある。
でもそればかりを漁るんじゃあ本末転倒。
いい言葉を読み、聞き気分がよくなっても、実際は何も救われてない。
何も変わらず、ただ自分を慰めてるだけ。
名言、次の名言、次の名言……。
誰かが言った「いい言葉」を幾つRTしたら満足するんだろう。
いい言葉を切っ掛けにして、次は自分がいい生き方をしてなんぼだろうに。
ミニマルライフであれ、ミニマルにして生き方をスッキリさせるのが本来。
ところが、捨てることにこだわる、自身の理論の正しさに固執する。
何かを捨てた精神の空白に別の何かが入り込んでる。
本を読んでどれだけ変わった?よくなった?
何もしなくたって同じだったんじゃね?
名言、格言、生き方が云々と言い出し、批判されたら魔女狩りだと叫ぶ。
啓発ウイルスに感染すると、それがおかしなことだと思わなくなる。
おそろしいおそろしい。
ところで
この本のなかには「ミニマリスト」の例として、スティーブ・ジョブズが頻出してくるのですが、蕎麦を食べるために自家用ジェットでアメリカから日本に来るような人を「ミニマリスト」を呼んでも良いのかどうか?
【読書感想】ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - いつか電池がきれるまで
それを言うなら、この前ファッション大好き&メタボリストの又吉に学ぶミニマリストっt