勝ち負けは、美術の「本質」から一番遠いところにある
bakazee.hatenablog.com
雑すぎて何ともなんですが。
日本と海外を比べて
「かつての日本は独自の絵画技法を使っていた。
しかし最近は日本独自の技法を捨て、西洋絵画の技法を使う、
だから日本の芸術は負けるのだ」
という記事だそうで。
あぁ、なるほど。
でもそれは美術の本質ではないと思うんだが。
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東京タワー
まず記事主がエッフェル塔のパクリだと語る東京タワーから。
東京タワーは1958年、早稲田大学教授の内藤多仲と日建設計株式会社が国産技術を使い設計施工を国産で行った電波塔。
内藤多仲博士の言葉は以下、
設計にあたって、まず考えたのは形のことです。やっぱり眺めて美しくなければいけません。でも、なにより安全第一です。とにかく大きいから万一のことがあったらそれこそ大変ですからね。しかし絶対心配ありません。風速90m/秒の台風、関東大震災の2倍の地震がきてもビクともしません。すっかり設計し終わるのに3か月かかりましたよ。その間は寝ても覚めても塔のことが頭にあって、ここはどうしよう、あそこはあれでいいだろうかということばかり考えていました。でも工事が始まってからは、だんだん高くなっていくのが、ただ愉快で楽しく、心配はありませんでした…
愛の東京タワー|竹中工務店
元々、万博用に建てられたエッフェル塔と耐強風・耐震構造までも考えた実用性重視の電波塔である東京タワーを比較してデザイン的な勝ち負けを論じてる時点でかなり香ばしい。
勝ち負け云々なら、地震にあったらどちらが立ってるか勝負してもいいんじゃないですかね。勝負、勝負ねぇ。
日本には東京タワーがありますがそれは紛れもないエッフェル塔のパクリです。
日本が西洋に負ける理由 - バカは風邪をひく。
あぁ、そうなんですね。
パクリですか。パクリねぇ。
紛れもなくパクリ
→紛れもなく盗作、紛れもなく剽窃。
パクるならもっとキレイにパクるんでしょうがね。
当時の技術で耐震構造を考え設計した電波塔がどれだけトッピならよかったんですかね。
よくわかりませんが。
構造物としてそもそもの思考が違うのに比較してパクリだなんだと。
いやはや。
トラス構造でタワーを建てればあんな感じになると思いますが。
では当時の内藤博士の言葉も張っておきますね。
建設後、電波塔集約で不満をもつ読売グループ(読売新聞、日本テレビなど)などから「エッフェル塔の猿まね」とあらぬ批判をされたが、内藤は「ある人はエッフェル塔そっくりだという。これは人が人に似ているというようなもので、一理ある見方ともいえよう。私としては端然とした姿である。この塔が好ましいと思っている」と答えている。構造美については「タワーの美しさについて別に作為はしませんでした。無駄のない安定したものを追求していった結果できたものです。いわば数字のつくった美しさとでも言えましょう」と答え、批判に対して反論するような不毛な議論は一切しなかった。
東京タワー - Wikipedia
これ以上の答えも無いと思いますが。
日本画の技法
さて、続きまして日本画の技法ですか。
日本は近年は文化、芸術の面でほとんど負けていると思います。
それは今まで積み重ねた歴史を捨て西洋と同じ舞台で勝負しようとしているからです。
単に見よう見まねで100年かそこらで打ち立てた西洋風のモノマネ文化が、一つの歴史の延長線上に確固として存在する西洋の本物の文化に勝てるはずがありません。
日本が西洋に負ける理由 - バカは風邪をひく。
本物の文化……日本の美術はニセモノだそうですよ、奥さん。
えーと。
ベタですが近代アート界隈で、日本画と言えば山口晃辺りがまず思い浮かぶ。
日本画に現代的な感覚を落とし込んだ作品で有名ですね。
この前日曜美術館でも特集やってましたっけ。
あと池田学とか。
松井冬子なんかも現代の日本画家として有名ですね。
他にも天明屋尚、炎上でお馴染み会田誠も日本画の技法を用いる。
この辺はいないことになってるんですかね。
「積み重ねた歴史を捨ててる」とのことですが、こういう芸術家を見ると明らかに日本美術の歴史が前提にあるように思えてならないんですよね。
ちなみに今、中国の富裕層が近代アートに金を突っ込んでいて日本の野口哲哉なんかの作品が高値で取引されていたりする。
これも実に日本的な作品ですが。
でも現代アートが熱いのは西洋じゃなく、日本じゃない。
現代アート大国は、中国なんですよね。
方力钧とか、今ちょうど横浜美術館でやってますが蔡國強とか。
アイウェイウェイが中国当局に拘束されたときはかなり話題になりましたっけね。
方力钧凭借《系列二(之四)》的5948万港元也刷新了个人世界拍卖纪录。 pic.twitter.com/Us8HwFDBHd
— 圳叔 (@szshu) 2014, 10月 7
横浜美術館の蔡國強展「帰去来」を観に来ました。《壁撞き》は日本初公開。見えない壁にぶち当たって打ち拉がれるも、また列に戻っていく狼を観て切ない気持ちになってしまったけど、狼には「勇気」の意味もあるのだそう。 pic.twitter.com/YoajQ6uvum
— blue_nuit (@blue_nuit) 2015, 8月 23

技法は西洋画ですがなにか?
あんまり詳しくない自分でもざっくりこのくらいは思い浮かぶ。
で、えーと、元記事の主張はなんでしたっけ。
自分達が表現していた事を理解できずに日本の今までの歴史を捨て、西洋のやっている事を形だけ真似てしまったのです。もちろん自己への客観性が欠如した視点では西洋の文化の本質も見抜く事はできません。
その時点で負けは決まっていたのです。
(リアリズムに対する姿勢はCG映画が日本に向いていない事とも関係あるような気がします。一方で日本のアニメが強いのは歴史の延長線上にある為です)
日本が西洋に負ける理由 - バカは風邪をひく。
歴史を捨て……上に貼ったひとらがいないことになってる謎。
最後のアニメ云々もよくわからないんですが(記号的な文化的差異がある土壌を同列で比較してる時点でなぁ……)西洋のやっていることだけをマネしていないのは上記でわかるようにも思うんですがね。たとえばみんなきらいな村上隆にしろ、ヴィトンとコラボしたりすることだってある。
オタク文化を独りでオタク代表の顔でカリカチュアライズして芸術だなんだと叫ぶ村上隆は確かに賛否を産みますが、でも今の日本のオタク文化という独自発展は、かつての日本画の技法と同じく日本の文化なわけですよ。
村上隆は日本の「オタク」を用い、会田誠は日本的なJKや萌えキャラなどのモチーフを日本画の技法を使い絵画に落とし込む。
それって海外アートのモノマネでも何でもない。
アレも日本の“文化”ですよ。
日本画的な技法を使わなきゃあ日本的な美術の本質じゃあない、なんて単なる回顧主義以外の何物でもない。さまざまなこれまでのアーカイヴを鑑みた上で混ぜ合わせた上でブラッシュアップするのがイマドキのアートだと思いますけど。
本質への理解、ということですが本質を語る前にまず現状を見るのがまず第一。
前提が間違ってればすべて間違う。
具体的に挙げた上で
「日本のアートシーンは西洋絵画のパラダイムに囚われているのだ」
という主張を展開するならまだ理解もできる。
が、これでは観測範囲としか思えない。
ここでやっとバスがダサい話に戻りますが、バスやその他公共機関も日本の歴史を踏まえた造りではないからダサく感じてしまったのだと思います。西洋でも東洋の歴史の上にもないセンスで造られたせいです。
日本人が日本の歴史をしっかりと学び伝統を理解し作品を造れば勝ち負けではない日本独自の存在を示せると思います。
屋形船や駕籠屋(かごや)から進化したバス、電車ならカッコ良くなると思いませんか?
日本が西洋に負ける理由 - バカは風邪をひく。
いや……ならないだろ。
それって屋形船とヨットを比較すれば屋形船は日本文化的だ→カッコいい、という短絡的な思考しかない。
まったくもって本質ではない。
技法だとか見た目だとかそんなものは一番表層的な感覚。本質から遠い。
本質とは何か?と言えばどんな文化的な差異であれ、適した技法を用い芸術として落とし込めばそれは本質的には正しい。
そもそも道具的な機能美と装飾的な美とを区別してない時点で本質を見れてない。
美術と勝負
一見、日本的でない→本質的ではない、という短絡の方が余程浅い。
日本的なら本質なのだということ自体がよくわからないし、さらに言うなら文化的な差異に優劣をつけ「勝ち/負け」を論じる時点で何も本質が見えてないとしか思えない。
たとえばアールヌーヴォーは琳派の影響を強く受けているわけだけど、ではアルフォンス・ミュシャやガレやクリムトが尾形光琳や俵屋宗達に負けたのか。
負けとは何?
勝ちとは何?
影響を受ければ負け?技法が違えば負け?
芸術、美術は、個人が個人の感じる美や感覚を何かに落とし込み表現すること。
そこに勝ち負けはない。
あるとすればそれはアートディーラーとか、美に対し価値をつけているひとらの世界の話。
どちらにしろそんな勝ち負けを含む価値論は美術の「本質」から一番遠いところにある。
カオスラみたいなのも実に近代日本的な感じで。
雑で主語が大きいんですが美術なのでつい反応しました。
あしからず。
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