ほら、なんか犯罪起こすじゃない?でご近所に噂になるじゃない。20年前(と書いている自分が信じられないが)はご近所ってのはまあせいぜい半径30kmくらいのイメージだった。今のご近所は「全世界」。
当然だけど、常識も変わればお作法も変わる。その状況から脱却するには全世界でインターネット禁止にするしかない。もう無理だね。
ネットにおける感覚というか距離感がそれ用にカスタムされるのが理想なんだろうが残念ながらそんなことはない。
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現実的既存概念・感覚
トピ主ブログのメルカリ記事にしろそうだが「フリーマーケット」という名前がついていれば、現実行事の同等・等価イメージを敷衍し落とし込んで捉える。
多分、著作権侵害で削除対象の出品者は
「(現実の)フリマなら大丈夫なのになぜネットだとダメなの?」
と思ったかもしれない。
実際は現実世界でもダメなのだけれど、不特定多数の前に明確な侵害として表示されるからダメなのだ、と。
そこの差異を理解しないまま多分、不本意に終わる。
いわゆる「ウチらの世界」でもそうなんだけれど、
彼らの社会は「うちら」で完結する。「うちら」の外側はよくわかんないものである。よくわかんないものが干渉してくれば反発する。そして主観的には彼らは「なにも悪いことはしていない」。彼らにとって「悪いこと」とは明確な脱法行為のみである。あるいは「うちら」の結束を乱す行為だ。
「うちら」の世界 – 24時間残念営業
彼らにとってのネットというのは単に繋がり合う視界内だけの話であり、それ以外の世界は娯楽としての事件や無関係なモブ*1でしかない。
感覚が欠落している。
テレビ番組の中のお笑い芸人と同じ。
○○とそれ以外のセカイ
かつて、ゆうきまさみは「世界は原田知世と、それ以外で出来ている」と言ったが、ウチらの世界でいえば「ウチらとそれ以外(モブ)」で世界はできてる。
メルカリでいえば、世界はやりとりをする「ウチら」と著作権だなんだとうるさくめんどくさい「それ以外」の連中。
そしてツイッターでの「ウチら」から、今はLINEグループにシフトした。
LINEグループは匿名でありながらセミクローズドな関係性を構築してる。
外には漏れにくい、しかし匿名で不特定多数との関係性の広がりはある。
LINE発信での炎上はあまり見かけない。しかしLINE発信での事件は多い。
他SNSと比較すればクローズドな分、表には見えず、表に見えたときは事件があったとき。
ワサラー団ではないのでよくわかりませんが(お元気ですかね)。
わさらーもツイッタラー最古参としてtehu コク 乙武の会食に混ざってほしい
— ♨️感染源DJわさらー♨️ (@_wasaaa_) 2015, 8月 24
技術革新は、繋がる距離・範囲を革新的に伸ばした・広げた。
それにより、繋がらなくてもいいものが繋がることもある。
新しい技術が産まれ、それにより生活に革新が起きる。
しかし人間の感覚は革新されない。
マニュアルもない、自動アップデートもされない。
アナログな人間は、旧態然とした既存の感覚を使いまわし、それらしくカスタムし合わせていくしかない。
どんな斬新な技術革新も、人間の手にかかれば俗で陳腐でゲスな手段に早変わりする。
そういう点でだけ、人間は素晴らしく才能がある。
以前に書いた記事から手前みそですがひとつ引用。
以前、どこかの大学教授か何かが自分の発言がニュースになったとかで
「これじゃあ自由に怒ることもできないじゃないか!」
とツイートしててとても面白かった。怒りたければ自由に怒ればいい。
ただその人は怒りそれをツイートしたらそれがニュースになった。だから
「これじゃあ自由に怒(ってツイートす)ることもできないじゃないか!」
が正しい。その人の中では怒ることとツイートすることが繋がってる。
怒ることはツイートするもの。
だから自由にツイートできない→怒れない、になる。こういう感覚の人は以外と多い。
現実とネット。
感覚の差を錯誤したり、行為を同一視したりしてしまう。
ネットでの怒りと正々堂々とした態度 - あざなえるなわのごとし
*1:群衆