AIとディストピアとハードウェア
アルファ碁vsイ・セドル九段の戦いは素晴らしい。
AIの開発者もすごいが、真っ向勝負してるイ・セドル九段はさらにすごい。
自分みたいな日曜にはNHK杯を見る程度のライトな囲碁ファンですら「おぉ!負けた?マジか?!」と驚いたし、イ・セドル名人が四戦目を勝ったことは「アルファ碁が発展するためのヒント」になったろう。
ゴリゴリの囲碁ファンは落胆してるだろうし、AI界隈の方々は欣喜雀躍でしょうが。
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テクノリジカル・シンギュラリティとコスト
で、こうやって何か一つ証明されると途端に
「うわー!人工知能の時代くるわー、人間から仕事奪うわー!好きなことで生きていくしかないわー!マネタイズやわー!」
って極端なディストピアを想像する人が出てくる。
一戦の結果で突然ワーワー言われてもなぁ……これまでの長い歴史の帰結なんだけれども。
なんか先走り汁がすごい。
人工知能であれ、まずはコスパ。
単純労働に関しては、今ですらアルファ碁みたいな優秀なAIは必要ない。
でも導入されない。
今も工事や工場では、素人が「こんなの機械にやらせりゃいいんじゃね?」と思う部分にも人間が使われてる。
人間ほど応用が利き、器用で、コスト的に安いものはない。
機械を導入するのは設備投資費用との見合い。
例え機械を導入しても、生産物が変われば機械を変えなきゃならない。
機械を導入するのはそれなりの生産数が確保できて導入してその費用がペイできる大手の企業だけ。
だから人間を雇う。
それを搾取と揶揄する声もあるけど、労働を生み出しているのも事実。
プログラムと治具を変えることで応用が利く機械もあるが、一台買うならパートのおばちゃんを時間数百円で雇う方がよほど早いし、そうするしかない企業も多い。
作業を一台のAIに教え、代わりに労働させるコストvsパート、フリーター
AI一つのコストが下がれば、さまざまな場所にそれが導入される事はありえる。
福利厚生を考えなくていい格安労働力。
でもAIの思考が人間を超えても、現実の肉体を持つ人間並みに動ける身体はどーするの?と。
普及のためにはハードウェアのコストダウンも追いつかなきゃならない。
AIカー
車は、比較的AIを導入しやすい。
車輪にドアが付いてる、今のモノを応用すればいい。
ハードウェアに革新が必要ないし現行の車両を使える。
でもAIが棋士に勝ったからって、いきなり
「タクシー運転手がいらなくなる!!」
なんてのはバカバカしい。
【1.法律とAI】
仮にAIタクシーが人身事故を起こしたとして、その責任は誰が取るのか。
AIの開発元が責任を取るのか、車の生産者か。
それともタクシー会社なのか。
さらにいえば子供が飛び出してきて、救うには電柱に突っ込むしか無いとすればAIは乗客優先で子供を轢くのか、それとも子供優先で電柱に突っ込むのか、というマイケル・サンデル的な倫理判断だって求められる。
社会にAIを受け入れるには、対する罪と罰の制定がまず必要になる。
それがないままに市場導入はできない。
突然の事故やイレギュラーケースにAIがどこまで対応できるのか。
当初は、そのフォローとして人間が運転手として乗る可能性はある。
モニター役っていうんですかね。
【2.段階的な市場導入。】
金持ちはAIカーに乗るかもしれないが、市場が一気に変わるわけじゃない。
豊かな国が優先的に導入し、貧しい国には一部だけが導入される。
道路が舗装されてない国では、車にAI載せるよりインフラ整備のほうが優先課題。
前提として国の法整備が追いつき、公道で走れるようになる法律が制定される。
談合だの裏金だのスキャンダルがあるでしょうねー。
そして、どっかのベンチャーがタクシー業界に参入。
注目を集める。
当然事故が起きる。
人間の運転する車とAIカーの事故が発生、法廷論争になる。
AIと倫理観の議論。
自然にやさしい電気自動車が市場に導入されようとなんだかんだガソリン車は未だに車社会の中心。
太陽電池や風力発電があろうと原子力発電は揺るがない。
導入が進めばAIカーのコストが下がる。
一般層にも普及し始める。
金持ちは、人間の運転手を使うという逆転現象も起こるでしょう。
「運転なんてAIで充分なのに人間に運転させるだなんて贅沢」
AIを乗っければ、今度はハードウェアの維持という面で単純な車のメンテナンスプラスソフトウェア面のメンテナンス業務も発生する。
自動車整備工はAIに関しての知識も必要とされるようになるかもしれない。
あるいは別のAIメンテナンスに関する職種が生まれるかも知れない。
それもAIがやるのかしら。
まぁすごい未来社会ね。
生きてるうちにここまで行くかねぇ……。
AIと未来
囲碁において機械が人間を上回った、というのは
“囲碁に関する機械の思考(読み)が人間を超えた”
が正しい。
人間の仕事を奪うとか、もう人間の労働力いらなくね?とか筋が違う。
ハードウェア的には、人間をまだ超えていない。
もちろんいずれ人間のように柔らかく器用で繊細に動くマニピュレーターや機械なんかもでき始めるでしょう。
先日話題になったAtlasみたいに二足歩行や倒れても起き上がる機構も開発されてる。
一度機構が完成されれば次は材料やコスト面を下げて、市場導入。
需要に応じて供給は生まれるから、ライン生産が始まり、さらにコストが下がる。
そこまでいってようやく「仕事奪われるわー!」のはずなんすよ。
人の命を預かる職種ってのは「機械にできるならやらせてしまえ」なんて単純なものじゃあない。
人間には倫理観と言うめんどくさい思考が付随してるので。
真のテクノロジカル・シンギュラリティってのは
“優秀なAIが格段に低いコストによって市場導入される”
そしてそれを人間が受け入れ、市場と倫理観も整う時代のお話。
そのとき人間は仕事を奪われ、生き残る仕事となくなる仕事が発生する。
もちろん資本主義がこの先も変わらず続くという前提ですが。
だから今の“AIすごいー!人間は仕事なくなるー!”って話は先走り感がすごい。
みかん農家のおっさんはとっくにマニピュレーター使ってるし、現場では外骨格導入し始めてるし、田植えも機械にやらせとるよ。
・あふラボ 農作業の負担軽減に効果あり!「農業用アシストスーツ」の“今”
クボタのアシストスーツ知らんかな?
一部で有名だと思ったが。
だから、その現場にAIが必要かどうかって話じゃね?
アルファ碁勝利に関して急に起きたAI論ってピタゴラスイッチみたいなミスマッチ感。
人間に成り代わるってのは「人間と同等もしくはそれ以上の思考と肉体」が必要なんじゃね?
なんでハードウェアが置いてけぼりなんだかよ。
重要なのは、ソフトウェアの加速度的な発展に対して人間の倫理観や社会が追いついてない現実だと思うんだがね。
ついに人工知能が人類を超えた事が確認された。唯一人間が得意だった囲碁でAIが勝ったという事は、今後AIはどんな領域においても問題さえ設定されれば人類を打ち負かす事ができる事を意味する。もう未来永劫人類はAIに勝つ事は無いのだ。
マジで?!おそろしいおそろしいおそろしいおそろしい!!!!!
それにしても今回のアルファ碁はすごい。
なにせ囲碁が難しいのは“曖昧さ”が多いからなんすよね。
形勢判断をなんとなく行い、そのなんとなくに合わせて石の死活を判断して打ち進める。
たとえAIがすごいからといって終局図までの打ち筋が見えてるわけじゃない。
なので打ち手によって変化する形勢判断を的確に行わなきゃあ負けてしまう。
この「なんとなく」の変化を正しく判断するのがAIには難しい。
ディープラーニングは「経験し学習する」からこそ曖昧さや汎用性に富む。
ディープ・ラーニングでは、コンピューターが現実世界を大量に見ることで、ルールを含めて自動的に学習できる。いわば現実に合わせるのですよ。
羽生善治×川上量生「羽生さんはコンピュータに勝てますか?」完全版 【文春e-Books】
囲碁という限定的な空間と現実とはかなり差があるけど、曖昧さを許容し学習するAIの存在は、ムーアの法則の加速度を増すのかもしれない。
とき~は、にせ~んじゅうごねん♪
でもジェッターマルスはまだ登場しない。
ちなみにこの↓羽生名人の人工知能本面白い。
(今読んでるのでいずれ書きますが)
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