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文豪を美少年化したDMMのゲームが赤旗で取り上げられ、それに対して
Twitterや2chの本スレなどで怒っているファン達の主張を参照したところ、彼女ら曰く「私たちはゲーム内の小林多喜二というキャラクターを愛しているのに、左翼が政治色をつけて汚した」との事だ。しかし、僕にはその意見がどうにも理解できない。(続く)
— Rikuoh Tsujitani (@riq0h) 2017年3月17日
ファンがキャラを思想的に扱うなと怒ったとか怒ってないとか。
以前にあった「音楽に政治や思想を持ち込むな」に似てるような似てないような。
火元が2ch近辺なので慎重になるべきだろうが、ニュースにもなりはじめたので少しキャラクターとそのコンテクストについて考えてみる。
※以下「コンテクスト」というワードはかなり乱暴な使い方をしていますので読むときにはご注意を
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コンテクスト消費
コンテクスト*1とキャラクターの消費は昔から行われている。
だが、そのコンテクストの強度や現代と繋がっているかどうか、というところが閾値になっている気がする。
そこを踏まえないと正しく捉えられないだろう。
たとえば柳生十兵衛が山田風太郎「魔界転生」で蘇っても問題視はされない。
天草四郎時貞が蘇り世間に仇をなしても。
柳生十兵衛は1607年~1650年、天草四郎は1620年ごろから1638年まで。。
山田風太郎が「魔界転生」を書いたのが、1967年。
その差300年。
数百年という時間により過去に生きた人々の存在は遠く離れ、コンテクストの多くは失われた。

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キャラ化したアニメ「十兵衛ちゃん」はたとえ眼帯がラブリーであっても問題はなかった。
現代と繋がらない「柳生十兵衛」という名前は、現代では記号でしかない。
十兵衛ちゃんは、柳生十兵衛という記号(眼帯)をテクスチャとして貼り付けたキャラ。
この多くのコンテクストが失われることによる「記号化」がキャラクターには重要だろう。
「擬人化」という手を使い、歴史や思想などのコンテクストだけを切り離し、「戦艦」というモノの名前を「記号」として美少女キャラに付与したのが「艦隊これくしょん」であり、作家個人ではなく「作風・作品」を擬人化したのが「文豪ストレイドッグス」だろう。
大量にキャラを必要とするゲームだからこそ、こういう
「過去の名前を再利用する→世間にある程度のイメージが浸透している」
記号を使うやり方なんだろう。
そして刀剣を美少年化した「刀剣乱舞」(刀らぶ)の場合、刀剣自体にモノとしてのコンテクストはあってもそれはあくまでもモノでしかない。
本人
「文豪とアルケミスト」は明らかに文豪ストレイドッグスをイメージしつつ、「文豪を転生させる」と言うあたりはfateシリーズのサーヴァントを連想させる。
ただ文豪ストレイドッグスが作風や作品を擬人化したのと違い、「文豪自信が美少年として転生」することでコンテクストの切り離しが難しくなった。
文豪本人が転生するなら、そこに登場するキャラクターもまた文豪本人のコンテクストと繋がる。しかも登場する作家の作品は現存し、その生き方も今に伝えられている。
吉川英治(1892~1962)、谷崎潤一郎(1886~1965)などであれば、本人の人となりを語れる人や親類縁者もまだまだ生存している。
以下は、吉川英治記念館の学芸員の方のブログから引用。
「文豪とアルケミスト」というゲームが発売されるという記事に出合いました。
そして、そこには吉川英治も登場すると書かれていました。
(中略)
吉川英治のビジュアルが10月下旬に発表されるというので、注目していたのですが、こんなお姿でした。誰だよ、こいつ(笑)
私のような血のつながりのない者はともかくとして、親族の方はどう感じるのでしょうかね。
文アル: 草思堂から
吉川英治記念館の方でなくても、同じように思うことを常識的に感じる。まだ故人のコンテクストは、現代で断絶していない。
キャラ化するにも、まだ記号化できていない。
Fateシリーズに登場するサーヴァントは、近代から離れた過去の剣豪などが多い。
たとえ本人がサーヴァントとして転生しても遺族や、その思想を継ぐ人間があーだこーだ言わない。
時代が断絶している、キャラの背負うコンテクストが現代に繋がっていない。
だが「文アル」は違う。
僕はよく知らないが「文豪とアルケミスト」という、実在の文豪を操作して敵と戦うソーシャルゲームがあるそうだ。そのゲームにはかの有名なプロレタリア作家の小林多喜二も登場している。その事をしんぶん赤旗が好意的に取り上げたところ、本作のファン達が政治利用だと憤慨しているらしい。(続く) pic.twitter.com/Jg7oatve8q
— Rikuoh Tsujitani (@riq0h) 2017年3月17日
Twitterや2chの本スレなどで怒っているファン達の主張を参照したところ、彼女ら曰く「私たちはゲーム内の小林多喜二というキャラクターを愛しているのに、左翼が政治色をつけて汚した」との事だ。しかし、僕にはその意見がどうにも理解できない。(続く)
— Rikuoh Tsujitani (@riq0h) 2017年3月17日
「小林多喜二の思想性を抜いた同一人物」というキャラクター性が、実在の人物より優先される事はない。繰り返しになるが、むしろこのゲームこそが小林多喜二をゲーム的に利用したのであり、小林多喜二は既に政治的な人間である。実在の小林多喜二を扱う以上、それは避けられないのだ。>RT
— Rikuoh Tsujitani (@riq0h) 2017年3月19日
いや「彼女ら」の言っているとおりでしょう。ファンはフィクションである作品世界のキャラとしての「小林多喜二」を楽しんでいるわけで、現実は「元ネタ」以上の意味なんて無い。美少女化された上杉謙信や信長政宗を楽しんでいる人に「実際は男だ!史実では~」と土足で乗り込めばそれは荒らしです。 https://t.co/V530vWas67
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2017年3月19日
上杉謙信や信長政宗が小林多喜二と大きく違うのは、コンテクストが断絶しているのか否かだろう。
近代の作家は単純に記号化してキャラクターとして消費するには、コンテクストが強い。
近代の思想に繋がる作家「本人が転生」するのは、なかなか扱いが難しい。それと江戸時代の人物を比較するとのは縮尺が違う。
コンテクストのむずかしさ
たとえばゲームキャラとして耽美に美少年化したアドルフ・ヒトラーを登場させユダヤ人を虐殺できるゲームがあれば炎上は必至だろう。
ヒトラーはWW2の歴史を超えてコンテクストが断絶していない。
仮にジェフリー・ダーマーやジョン・ゲイシーを美少女化するゲームが登場すればコンテクストがつながるアメリカでは問題になる。
小林多喜二は特高警察に相対し、思想的な作品を発表し、拷問の末に殺害されたとも言われる。
明治から昭和にかけて生きた作家。
コンテクストや思想の偏りが強すぎるし、娯楽のキャラとして消費するには向いていない。
仮にこれが「蟹工船の擬人化」ならセーフかもしれないが。
ネタかマジかの「ネタにできるか否か」の境界線は、コンテクストの繋がりの強さとその内容によるとしか言いようがない。
キャラ化したときのコンテクストがネタにできるか、時代や土地によってコンテクストが断絶しているか。
コンテクストが継続した安易なキャラ化は問題を産みやすいという典型例。
成功した「文豪ストレイドッグス」との差が見える。
*1:そのモノや人物の持つ歴史、背景、思想など含む文脈