「スーツの着こなしに関するデマ」というデマ

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・黒いビジネススーツはマナー違反

・着席するときはスーツのボタンを外さないとダメ

・スーツの一番下のボタンは留めてはいけない

・靴とカバンの色は揃えるべき

・スーツの袖口からシャツの袖が2cmくらい見えるようにするべき



これ、全部デマなので注意してほしい。

ファッション雑誌が「こうしたほうが印象良いのではないか」と勝手に考えいつの間にか暗黙の了解になってる嘘ルールなので信じないように。

言うまでもないがデマではない。
かなり大きな釣り針にも見えるが、ネタにマジレスが以下。



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デマ

デマというのは正しい情報があり、それに対して偽の情報を流す……それがデマ。

着こなしは、相対的なコンテクスト。
絶対的なルールじゃない。
絶対的な正しさがない相対的な基準に対して何が「デマ」なのか。

「ジャケットの一番下のボタンを留めない」なんてのはジャケットのデザインが裾に向けて広がるような意匠を取り込んだからであって、デマでもなければファッション雑誌の陰謀すらない。
それとも「全部閉じる(正しい)」「全部閉じない(デマ)」だというんだか。
締めたきゃ勝手に締めればいいが、それが正しいわけでもない。

シャツの袖が少し見えた方がいいのは見栄えのアクセントでもあるがスーツの袖が汚れないためでもある。
腕時計が見えるし、カフスをつけていればそれも見える。

ファッション雑誌が、決めようがそれが社会に浸透すれば、それはデマでもなんでもない。
増田の感覚なら毎年の流行だって全部「デマ」。

流行だのなんだのって一般庶民が勝手に流行らせてそれをマスコミが取り上げて「これが流行ってる!」なんてやってるが、これらが「デマ」ならそれ対する「正しさ」とは果たしてなんなのか、と。

「公」「私」混同

紳士服を嗜む 身体と心に合う一着を選ぶ

たとえばビジネスに黒スーツがNGなのは黒いスーツが燕尾服などのドレッシーなイメージを持ってしまうからだという。
こちらもファッション雑誌が広めたデマでもない。

公私の「公」においてビジネススーツのマナーが言われるのは、そこに仕事の相手がある場面だからこそ。
自分が良ければそれでいい「私」の場面とは違う。
ビジネスにおいてのドレスコード(コンテクスト)を守るのが「相手に対して失礼がないようにしよう」ということでしかない。

衣服は、自己と他者(社会)の境界に位置する。
高いスーツを着ると背筋が伸びるなんていうが、そういうプラシーボ効果はある。
衣服は自分に対して影響するのと同時に他者(社会)に対しても影響する。

「公」において、時には会社という集団に属したり、あるいは見知らぬ相手と商談することもある。
社会において会社などの集団に帰属する目印として、あるいはドレスコードを守ることが見知らぬ他者に対しての礼儀を守ることになるからこそビジネススーツには一定の着こなしという決め事が介在する。

ビジネスマナーとは、プロトコル。
スタンドアロンやローカルエリアなら独自の規格でも独自のフォーマットでも好きにすればいいが、どこかの誰かと接続するからこそプロトコルという決め事が必要になる。

よく知る相手が服装も気にしないなら別にTシャツにジャケットにデニムでスニーカーだって構いやしない。
ジャケットを後ろ前に着ようが、スタッズのマーチンを合わせようがどーでもいいのが公私の「私」という場面。

心理効果

英国のメンタリスト「ダレン・ブラウンのザ・プッシュ」というドキュメンタリーがある。
ダレン・ブラウンは、対象者を一人選び心を操るのだが、その中に服装にまつわるものがある。

対象者クリスをパーティーに呼び出す。
呼び出す際には「ドレスでもカジュアルでも構わない」と伝えておく。
クリスがカジュアルな格好でやってくるが、来賓は全員ドレスコードをきっちり守った格好。
すると対象者はいたたまれなくなる。

クリスだけ正装ではありませんよね?
ドレスコードを教えなかったんです。
1人だけカジュアルなので自分を格下に感じるはず。

ダレン・ブラウンのいうとおり、ゲストのはずのクリスは自分が格下に思えるからか指示に従って手伝ってしまう。
こうして心理をコントロールする、という番組。
ネトフリ加入者は一度見てみてください。
世界まる見えなんかで紹介してたかもしれない。

いわゆる「監獄実験」にもあるが、服とは第二の皮膚。
その服が持つ役割を自身の精神に負わせるために機能もする。


個人的には、ビジネスマナー嫌いですけどね。
面倒だし。

ただデマとは思わん。