美しさと難解さ 映画「ネオン・デーモン」

誰もが目を奪われる特別な美しさに恵まれた16歳のジェシーは、トップモデルになる夢を叶えるために、田舎町からロスへとやって来る。すぐに一流デザイナーやカメラマンの心をとらえチャンスをつかむジェシーを、ライバルたちが異常な嫉妬で引きずりおろそうとする。やがて、ジェシーの中に眠る激しい野心もまた、永遠の美のためなら悪魔に魂も売り渡すファッション界の邪悪な毒に染まっていく―

ニコラス・ウェンディング・レフンという監督は、セリフではなく、状況や場面、描写、行為、行動、言葉以外で様々な事柄を表現しようとする。
だからシンプルな物語も難解になり、わかりづらくなる。
もちろん映像に込められた暗喩を読み解き、その意味を踏まえて鑑賞するのも、それはそれでひとつの見方といえる。



【スポンサーリンク】



理解しない

抽象画を鑑賞するとき、その時代背景や作家の生い立ちや絵画の世界における評価や、評論家による解説などをひと通り知った上で鑑賞するのは、理解の一助になり得る。
だが、何の予備知識もなく、描かれたものをそのまま受け入れる、わからないものをわからないまま受け入れ理解するという見方もある。

「わかる」ことはそれほど重要ではない。
わからなければならないという考えに捕らわれ、無理に偏り歪んだ思考に支配されるくらいなら、わからないままの方がよほど健全。

難解なものを見る、難解なものを聞く。
ノイズまみれの音楽や、ペンキを垂らして描かれた絵画や抽象的なオブジェや。
言葉として表現できないモノを、わかりやすい言葉で安易に変換することなく、難解なまま、ありのままで受け入れるのは存外難しい。

もちろんわかることは重要だろう。
だが作品に対して「わからないからこれはダメだ」「分かりにくいから駄作だ」と自分が理解できるか否かで評価を下してしまうのは何かおかしい。

メタファー

「ネオン・デーモン」作品自体は、それほど難解なストーリーではない。

ファッションモデルに憧れロサンゼルスに上京してきた若い田舎娘が、その無垢な美しさによって業界の魔窟で成り上がるが、才能と若さを羨む女たちの嫉妬によって潰される、というよくある古典的な筋。

ただエル・ファニング扮する主人公が、バラの花に触れて失神したりするのが白雪姫の暗喩だったり、なぜかちょい役のキアヌ・リーブス演じるモーテルの主人がエル・ファニングの口の中に刃物を入れる夢も処女性の暗喩だろうとか、意図的に配置された鏡が視点や鑑賞、観察、己の外観を写すものであったり、美を競い合う女性らの対比として外部に男性が配置されることで男性が女性の美を審査しランク付けする世界を表現していたりetcetc……。
暗喩を読み出すとキリがない。
暗喩、暗喩、引用、暗喩。

旧作「オンリーゴッド」でも映画内の色彩によって東洋(赤)と西洋(青)という異文化の交わりを示したり、言外の暗喩が多かったが、今作でも同じように数少ないセリフを補うべく、背後に意味ある表現が張り巡らされている。

こういう暗喩を読み解き、それを一般に向けて安易に解説することを飯の種にするような人には好みの映画だろう。

正しい鑑賞

だが、結局のところ、そういった暗喩を読もうが読むまいが大筋に影響ない。
時には、知識が邪魔になることもある。
行為の意味を考えるあまり、作り込まれた構図の美しさを見逃してしまうのでは意味がない。

どの場面が何を示しているのか。
それがわからなくても支障はない。

表現が難しい、分かりづらい映画は必ずしもわかる必要はないし、それを解説するのを仕事にしているような輩もいるが、無粋な解説を知らなくても問題はない。
この作品もそういう風にできてる。

だから見たまま、綺麗なら綺麗だと感じたまま、鑑賞するのがいい。
一つ一つの場面が、画として計算されてる。
レフン監督は同じような難解映画を撮るデヴィッド・リンチと違い、感性や狂気より理性が勝つタイプなのがよくわかる。
多分、真面目なんだろう。

それでもなお足りないなら、その時は知的好奇心を満たすためにネタバレブログや映画解説のポッドキャストでも聞けばいい。

ネオン・デーモン(字幕版)
(2017-07-04)
売り上げランキング: 164,091