はてな村は死なずただ文化が消え去るのみ

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ひとつの話題にブロガーが次々に言及する文化が衰退したのは、第一にはブログ以外のメディアが普及したからだとは思う。twitterがスタートした00年代の後半には、もうブログを捨ててtwitterに移動してしまうブロガーをたくさん見かけた。それから十年以上の歳月が流れ、最初から短文に特化したツイッタラーもたくさん生まれた。文章中心ではない、画像や動画がメインのメディアにも人が流れていった。

あけましておめでとうございます先生。

以前、一つのテーマに対して他ブログに言及して、さらにそれに言及する、なんてことを何年も前にやったことありましたが、あの頃は確か「内輪ノリが寒い」「こんなの互助会と変わらない」とかなんとか言われましたっけね。
もはや懐かしい。
以前ならブログにトラックバックなんて機能もありましたが、やがてレーザーディスク並みの認知度になるのも近い。

今やTWITTERで連ツイしてトゥギャる方がよほど簡単で早い。
みなさん短文なら書けるので。
たまに荒ぶってるネトウヨさんなんかのカクヨムとかウェブ小説とか読んでみるんですが、ホントひどいもんですよ。
長文が書けない。
「てにおは」も無茶苦茶。
長文の構成力が無いというか、言葉の選び方がおかしいというか。

何か言いたいならTWITTERで充分足りる。
今なら長文はnoteでもいいんでしょうね。
はてなみたいに炎上必至の沈みゆく媒体に書く必要はないし、有料でも売れる(実際売れるかどうか知りませんが)。


認められたい

認められたい

  • 作者:熊代亨
  • 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
  • 発売日: 2017/02/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


はてなだってブックマーク数の下がりっぷりが半端ない。
それにニュース記事やツイートへのブックマークは多くても対はてなブログへのブックマーク数は全体的に下がってるんじゃあないですかね。
一部を除いて。
はてなブログってそれを選んで読もうとすると結構めんどくさいというか。
そういう動線をなぜ作らないのかもよくわからないんですがね。

読む側もブックマークじゃなくスターつければ充分、みたいな。
どうせ拡散して目立っても叩かれるだけですし、自分が加担したくないとか。
そういうメタ認知は広まってる気がするんですけどね。
ニュースなら総がかりで叩いて袋にできるけど、ブログだとそこに個人がいるので叩かない人も増えた。それはそれでいいことなのかもしれないけれど。

おちゅーんvsヨッピーなんてちょっと久々に見た大怪獣決戦でしたが、結局、おちゅーんはかつて豪雨の中爆走した時のような勢いもなく、なんとなく沈火してしまいましたね。
こんな昔の小ネタを言ったところで、わかる人にしかわからない内輪受けになってしまうというのが悲しいですが。

それに炎上系記事にもブックマークがつきづらくなってますね。
きょうもえさんとかたまに見ると相変わらず戦ってますけど全然薪がくべられず、不完全燃焼で終わり。
本人が続けてもそのまま伸びずに終了。

あとは、まぁ、あれですよね。
なんか、あの一件で一気にモチベーションが下がったというか。
結局、あのテロは象徴的な事件を通じて呪いをかけた。
あの時、はてなを中心とする一部の世界の認識が間違いなく何か変わった。
あの凶刃は一人の命を奪い、同時に多くの人から何かを奪った。

最近のネトフェミとか過学習の人とか。
もう、なんつーか、あぁ、そうですかって。
一歩引いて見てしまうし、それが隠せない。
メメントモリじゃないですが。
人はやがて死ぬ、暴力によってそれはすぐに行われることもある。
そんな当たり前の事実を目の前に突きつけられた時、たかが無名のいち個人の言葉ってのはいかに無力であるのか。

TwitterみたいなフローのSNSはかつては動線でしたけど今やすっかり主戦場になってしまった。
取捨選択してエコーチェンバーが効きやすいんですよ。
居心地がいい。
対して、はてブってのは良くも悪くも上も下も右も左も入り混じる。
だからこそ、そこで戦いも起きる。
でも戦ってればやがて疲れる。
ひたすら戦うのは居心地が悪いんですよ。
たまに戦ってる人もいますけど、そういう人の主陣地はTWITTERですからね。
あそこで同意見の人々と傷を舐め合えるからこそはてなでも戦える。


さらに言えば「言及文化の衰退」というよりも、言及する、してもいいという空気みたいなものをまず見せないとダメじゃないですかね。
自分みたいな弱小ではなく、それなりの人がね。
じゃないと「祭り」にならない。

ユーザーが変われば文化だって変わる。
既存ユーザーは老い、徐々に変化し、村を抜け、新たな村民が多少増え、新陳代謝する。
ダムに沈みかけたはてな村なんて何年前の話題だかわかりませんが、いまだにこうやって細々やれてるんですからねぇ...。
でも自然発生した時代の文化は口伝ですし、感覚ですからそれを明示しなければ廃るのみ。
だからこそ言葉がある。

テッド・チャン読んでますか?
「息吹」の中に「偽りのない事実、偽りのない気持ち」って何もかもが記録される世界と言葉が衰退した世界が交互に描かれる短編がありますが、あれを読むと主観による「言葉(認識)の揺れ」と同時にその必要性もやはり同時に感じたんですよね。
あくまで言葉は人を通じて世界をなぞるためのツールでしかない。
だがそこに具象化できない何かを表すこともできる。

文化を伝えるには言葉が重要な存在。
自然に誰かに伝わるのを待っていてもそれは決して伝わらない。
そして伝わるものが同じとは限らない。

文化というのもおこがましい文化かもしれないが。
俗習とか習俗でも言えば適当ではないのかな?

アフィリエイトのマニュアルに言及文化なんてないんですから、そういう新たな村人にも示されないとそりゃあ誰も言及なんてしない。
言及しても怖くないよ、殺さないよ、痛みは初めのうちだけ慣れてしまえば大丈夫だよって。
そんな風に思うんですがね。

まぁ、廃れていい文化なのかもしれないが。
最近、いい感じのブログ論考とかもすっかり見かけなくなったなぁ...。

とか書いてたらもうこんな時間。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

言及しても怖くないですからね。
言葉以外では刺したりしません。

息吹

息吹