映画「パラサイト 半地下の家族」と「スノーピアサー」で考える格差の描き方


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編

本当は先行上映で観るつもりだった「パラサイト 半地下の家族」(以下、パラサイト)
先週、暴風雨で諦め、今日は今日とて残念な雨。
おばさま集団で溢れかえるレディースデーのTOHOシネマズ新宿歌舞伎町にて鑑賞。

ポン・ジュノ作品はどれもこれも好きなのでこれも当たりだろうな、と思ってみたらやはり好みど真ん中のブラックコメディ。
これは観て正解。
面白かった。
観ていないなら是非今度の週末にでもどうぞ。
そしてこの記事を読んでいただければ、ありがたい。

※スノーピアサーはアマプラ枠なのでリンク置いておきますね


ところでポン・ジュノ監督は「スノーピアサー」でも同じく”格差”を描いた。
そこで、この記事では同じポン・ジュノ監督の「スノーピアサー」と「パラサイト」を比較して考えてみる。
多分、他の感想は山ほど書かれているでしょうから多少の目新しさがないと。

ちなみに他の感想は観ていない(影響を受けるのが嫌)。
※以下、「パラサイト」と「スノーピアサー」のネタバレがありますのでご注意を。



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前と後、上と下


『スノーピアサー』予告編


2031年の未来。
温暖化阻止プロジェクトの失敗により氷河期のように凍りついた地上を走る長大な列車。
生き残った人類は、車両の中で新たな社会を形成していた。
先頭車両の方が支配者(上流)階級で後方の車両が低層民。
合成された食料を与えられ、銃を持った兵に監視される後方車両の住民。
やがて後方車両の住民が蜂起、車両をひたすら前へと進み始める。

「LE TRANSPERCENEIGE」というフランスのバンド・デシネ(コミック)を原作とした「スノーピアサー」は「民衆の蜂起」を描く。
フランス革命のように一般民衆は立ち上がり、前方に住む貴族階級を脅かしていく。
ここでの格差社会は「上、下」ではなくベクトルをを転倒させた「前、後」の階層社会。
そして「パラサイト」では「上、下」で階級を描き出す。


www.parasite-mv.jp

半地下の住宅で暮らす一家。
父親キム・ギテク(ソン・ガンホ)、母親キム・チュンスク(チャン・へジン)
長男キム・ギウ(チェ・ウシク)、妹キムギジュン(パク・ソダム)の四人一家。
全員失業中。

ある時、キム・ギウに友人が上流階級パク家の娘の家庭教師の仕事を持ち込む。
向かう先の家は、半地下のキム家からは階段を上り、階段を上り、階段を上り、階段を上り、階段を上り、坂を上がった先にある。
ムサコのマンションでトイレを流すななんて話もあったが、キム家の半地下部屋は下水より下にある。
上流階級パク家からすればキム家は半地下どころか地下の地下。
実質的には地底と呼んでもいいくらいの高低差。

スノーピアサーでは横向きの「死亡の塔」のように車両ごとに敵が待ち構え、徐々に上流階級のいる前方車両への移動が描かれた。
だが、「パラサイト」では直接的に階段や坂でそれを描く。

台風の日、パク家を追い出されたキム家の3人は転がるように、豪雨の中、降りていく。
坂を下り、階段を降り、階段を降り、坂を下り、階段を下りる。
それでもキム家にはたどり着かない。
ゴミ捨て場で3人は「これからどうする?計画はある?」と話す。
だがキム家はまだそこから階段を下った先、ゴミ捨て場より先。
台風で下水が溢れかえる谷底のような場所。
そしてそんなキム家は汚物だらけの水で満たされ、追い出される。

「スノーピアサー」での主人公らは前方車両の上流階級の人々に追いやられ、支配されている。
だから主人公らは蜂起し、前方へと向かう理由が存在する。

だが「パラサイト」でのキム家は違う。
父ギテクは流行に乗りチキンの店を開いては失敗し、台湾カステラの店を開いては失敗する。
韓国は流行り廃りが激しいのに一攫千金を狙い流行に乗ろうとし、失敗する安易な生き方。

一方のパク家はパク・ドンイク(イ・ソンギュン)がVRゴーグルなどを作理成功したベンチャー企業の社長。
こちらも自分の努力で成功したわけで、キム家に恨まれる理由もない。
だからこそキム家の長男 ギウはパク家の娘と結婚し、パラサイトし続けることまで考えることになる。
 
 

匂い

嵐の夜、パク家の夫婦が話す「ギテクの匂いが臭い」と言う言葉を聞いてしまった。

弟の誕生パーティの日。
パーティーの準備のため、買い出しの運転中、後部座席でギテクの放つ異様な匂いを感じ、思わず車の窓を開けるパク家の妻ヨンギョ。
そして、パーティーの惨劇の最中、とっさに鼻を塞ぐドンイクの仕草。
本人らに悪意はない。
だがその仕草を見てギテクの殺意は確定する。


最近、ネットで「キモいと言う言葉は平然と使われるがそれが人を傷つけることに無頓着すぎる」と言う言質を見かける。
この「半地下に住む住人の匂い」と言うものに対しての反応もまさに格差社会での持つものから持たざる者への差別的意識の表現だろう。
臭いという側に悪意はない。自分らはその匂いの被害者だ。
だがギテクにすればその匂いは自分が望んだものではなく環境によって染み付いたものだ。
社会から落ちこぼれ、下水より低い土地に住み、酔っ払いの立小便やゲロやゴミや下水の匂いの中で暮らせば当然のように匂いは染み付いてしまう。

最初に匂いに気付くのはパク家弟のダソン。
だが子供には差別的意識がない。
「同じ匂いがする」と気づいただけで終わるし、そのことに対してキム家は多少焦りはしても怒りは覚えない。

酔っ払いが立小便し、下水が溢れるような環境で住むキム家。
そこで熟成され染み込んだ匂いは体からとれない。
誕生パーティーの日、二階のパク家の娘ダヘの部屋から庭を見下ろすギウは、庭で誕生パーティを楽しむ上流階級の人々を羨望の目で見て自分があの中に入れるだろうか?と煩悶する。
そして岩を持ち、自分が決着をつけるべく(障害を排除するために)地下へと向かうが逆撃にあってしまう。

本来、ギテクが怒るべき相手は社長のパク・ドンイクではない。
キム家はパク家にパラサイトしているのだから、宿主であるパク家がダメになることはキム家の崩壊も意味する。
だが「計画がないことが計画」なギテクは感情のまま、目の前の敵に向かってしまう。
直情的な行動。
結果として宿主は死に、パラサイトは終わる。
先日、ホリエモンが「目標設定に意味はない」などと無責任に宣っていたらしいが、少なくともこの映画において「計画がないことが計画」で何もいいことはなかった。

蛇足

他にいくつか気になったことを。

まずパク家の弟ダソンが、地下からのモールス信号に気づいたシーン。
もちろん最後のギテクからのメッセージにつながるわけだが、もう一つのパラサイト夫婦だった家政婦ムングァンの夫からのメッセージは結局役に立たなかった。
それどころか夫は自分で脱出、誕生日の惨劇へと至るわけだが、あの「ムングァンの死ぬ間際のメッセージ」も放置されてしまったところは違和感を感じた。
もしかしたら円盤になる時、ノーカット完全版とか出るのかもしれない。


そして最近の映画にしては珍しく徹底的に中国が描かれないのも面白い。
最近の映画は何かにつけ、やたらと中国(もしくは中国人)が登場するが、この映画で頻繁に登場するのはアメリカ。
上流階級の夫婦はやたらと英語を織り混ぜる。
韓国資本主義の成功者=だから英語を話すんだろうし、流行のチキン店で失敗したソン・ガンホ下流民は英語に馴染みがない。
だがアメリカをやたら出すことで信じ込ませる。
パク家も成り上がりなんだろう。

家政婦ムングァンが北朝鮮放送の物真似をするシーン。
韓国の上流階級にパラサイトする家政婦が北朝鮮の物真似をする、と言うのもなかなかブラックな暗喩。

そして最後、妹ギジュンの墓はまるでコインロッカーのような狭いところなのも象徴的。
キム家には、誰が死んでもやはり金はない。

希望と現実と

いつか父親に会うために書くギウのメッセージ。
あの手紙が地下の父親に届くとは思えない。
もし届けられるなら脱出だってできる。

いつか金持ちになって、いつか幸せになって、いつか3人で山手の家に。
ロマンティックな妄想は妄想でしかない。
今は金も仕事もなく、半地下の家で母と二人生きていくしかない。
夢は夢。
資本主義の韓国、現実はそんなに甘くはない。
 
 
映画「スノーピアサー」では横転した車両から生き残った子供らが山へと向かうところで終わる。
自然は過酷だが、その先に列車の中とは違う新たな社会が作られる可能性を示唆してる。
横転した車両はそれまでの社会であり、雪に覆われた地上は新たな可能性を孕む雪原。
社会を改革しようと戦い、旧弊的な社会は潰え、そして新たな未来を切り開く。

だが「パラサイト」の半地下からは、明るい未来も可能性も見えない。
持てるもの、持たざるものがハッキリと別れ、その差はいつまでも埋まることがない。
「スノーピアサー」は格差を描きながらもその可能性を残したのに対し、「パラサイト」では韓国を含め資本主義の生み出した格差の生み出した現実しか見えない。
アメリカでOccupy Wall Streetが起きた2011年から現在に至るまで今のところそれを解消しようという動きは見られない。


我々がいるのは、一体階段のどのあたりだろう?
下水より上、それとも下か?

スノーピアサー(字幕版)

スノーピアサー(字幕版)

  • 発売日: 2014/06/07
  • メディア: Prime Video