特に言いたいことはない

自分が地獄へ落とされたのは、自分のしたことの結果でないのはわかっていた。
そのことになんの理由もなく、高次な目的などないのはわかっていた。

テッド・チャン「地獄とは神の不在なり」

特に何もなく、たまには駄文でも書いてみる。
今さら有意義なことを書いて誰かに認められ、何者かになりたいわけではない。


それにしても色々変わった。

今や在宅勤務か、誰とも接触しない数日の出勤日。
これで一週間が終わる。
出勤にしろオフピーク出勤。
コアタイム、昼前までに出ればそれでいい。
帰りも仕事見合いで適当に帰る。
なにせ出社しても周りに誰もいない。

好きなタイミングで、テクノが流れるラウンジに行き、無料のカフェオレを注ぎ、アマプラのドラマを見ながら昼飯を食い、独りの居室で仕事をする日々。
オンラインでは打ち合わせや説明会に参加したり、仕事のメンツが揃っていても、オフラインでは特に誰とも喋らず帰宅するのが週の半分。
連日の在宅ですっかり太って、目も悪くなったから、たまの出勤は運動になるので意外と歓迎している。
出勤の分、エアコンの電気代がかからないのも懐に優しい。
たまの贅沢で高級のり弁を買うのも、楽しみの一つになった。

日々、コロナ以前と変わることなく定刻通り出社し、定刻通り帰宅する人もいれば、自分のように出社が半分近く無くなったり、あるいはすっかり在宅ワークで会社に足を踏み入れない人もいるだろう。

以前では考えられない変化が一気にやってきた。
ワクチンの接種が進んでいけばこれも変わっていくんだろうが、とまれ完全に元に戻るのかどうか。
「オンラインでも意外とできる」が認識になった現状、どこまで「以前のような日常」へ揺り戻しを見せるかは、ある種その企業の姿勢というか、柔軟性が見えるようでこれはこれで面白い。

残念ながら旧態然とした政治界隈はどんな災害であっても結局、一番変わることがなく、五輪は利権と安全とを天秤にかけて、金に転び、同じく受益者であるマスコミも当然の如く右に倣う。
IOCの会長が「犠牲」をぶっちゃけたのはさすがに笑ってしまった。
素直すぎるだろw
かつて福田赳夫首相は「一人の生命は地球より重い」と言ったが、残念ながら今の総理は「コロナに対しての安全よりオリンピックのコストの方が重い」と口に出さずとも実行中。

やたら最近、テレビを観るとスポーツ選手が登場して、オリンピック前のムードを盛り上げようとしてるのも白々しい。
ワイドショーはマッチポンプ
さんざコロナの危機を煽ったかと思えば、今度はコロナのニュースよりスポーツやそれ以外のニュースにやたら目を向けさせようという低級なプロパガンダを開始したらしい。

ところで先日、パンダの赤ちゃんが産まれたと速報が流れたが、マスコミの基準として速報である必要がある情報なのか...。


テレビがくだらないのは昔からだが、それを露骨に感じるようになったのは、対比軸としてSNSなどが隆盛してきたからだろう。
マスゴミなどと言う言葉は極力使いたくないが、残念ながら言い得て妙というか、適切と言うか。
もうジャニーズ事務所の広報装置としてしか息をしてない。

すっかりずっと自室にいるのにテレビじゃなくモンハンをやり込むか、YouTubeを見る時間が増加した。
ブラダも使いこなし、すっかりフルバガンスの立ち回りが上手くなった。
やはり通常型ですよ。



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ところで人はいつか死ぬ。
自分も若くはない。
最近、「これは自分の残りの人生の時間を使ってもいいものだろうか?」という考え方をするようにもなった。
残りの人生で稼げる金額には限界がある。
使えるコストは有限。
だったらこれを買うべきか否か、時間をかけるべきか否かと。

それこそ、この駄文にかける時間があるならやることがあるのは間違いない。

ここにこうして書いている駄文は、死後も恥を晒しここに残り続ける。羅輯*1のように心拍とキルスイッチを連動させ、心拍が消えて24時間経ったらあらゆるデータが消える、って仕組みを開発したら売れそうな気もするが、そういえばそんな願望を人力にした「dele」ってドラマがあったっけなどと書きながら思い出した。
あれはいいドラマだ。
しかもプライム対象らしいので下に貼っておく。

数年かけて、生活をシンプルにして削除するデータも出来るだけシンプルにしておきたい。
そうすれば多少は痕跡を無くしやすい。それまでに死ななければいいが。

「コロナ禍で若い人ほど感染リスクを考えない」なんてのがあったが、あれは死に対しての感覚が身近ではないのが大きいだろう。
身近な人間が死ぬと死を考える。身近に実感するような死がない、自分はまだまだ先だ、そう思うから死を考えない。
時間はまだまだ、使いきれないくらいあるかのように錯覚する。

そりゃあYoutuberが集まってどんちゃん騒ぎするのも宜なるかな
自分は死なないと思ってる。


とはいえ人生の有効活用なんて程遠い。
どこまでも無生産な日々しか過ごせない。
気づけば年老い、身体は衰え、黄昏は目の前、なんてのが定石だろう。

人生の残りは数えるほどしかない。
数分か、数時間か、数年後か、数十年後か。
それは知らないが、「歳をとっても可能性はいくらでもある」とはいえない程度に残りは少ない。
メメントモリなんて言われなくたって残りが見えてくれば自覚し始める。

生まれ変わりなんて無い。ここに生まれてきた意味も、自分探しにも意味はない。
たまたま、路傍の石と同じくここに存在し、いつか消える。
ただ意味はなくても死にたくはない。
生きてるだけで丸儲け、という明石家さんまの言葉が沁みる。
人は放っておいたっていずれ死ぬ。
生きるというのは大変だが、それはちゃんと生きようとするから大変なのであって、適当に生きるなら意外となんとかなる。
生きてるだけで丸儲けなのだ。
死にたい人は、真面目に自分の人生や命に向き合ってるのかも知れない。


人は死ぬ。

あの事件から3年も経つらしい。

たまに思い出す。
もう少し真面目な話もしておけばよかった気もするが、くだらない話に終始してよかった気もする。

彼はコロナの時世も知らず、「三体」も読むこともなく、チェンソーマンのPVも、全裸監督の第二シーズンも、鬼滅の劇場版も観ず、煉獄さんの最後に泣くこともなく死んでしまった。
死んでしまうとガッキーと星野源が結婚するなんてフィクションみたいなニュースも知ることがないなんて。
何となく寂しい。

死にたくはない、殺されたくはない。
誰かを殺しておいても、それでも生きたければ人生を生きられるなんて。
なんてこの世界は無慈悲なんだろう。

罪と罰というが、誰かを殺した罪に対して相応の罰なんて存在しない。何せ罪なんて本当はない。
罪がないから罰もない。集団社会という虚構のシステムにおいてのみ通用する罪と罰という概念。


懲役18年。
勤めあげれば罪を償い60前後で出てこれる計算。
果たしてそれは、罰として重いのか?軽いのか?何にしろ死人は生き返らず、行為はキャンセルできない。
罪がない以上、適切な罰もまたない。


死んだ相手と話が出来ないのは、この世界で一番残念な事柄じゃないだろうか。
死人とは、話したくても話せない。
だから恐山のイタコみたいなシステムが成立する。
「イタコにマイケル・ジャクソンを下ろしてもらったらマイケルが津軽弁で喋り出した」なんて笑い話があるが、イタコに降りたマイケルジャクソンの真贋なんて瑣末なこと。
必要なのは「死んだ相手に自分の思いを伝えることができる」という部分でしか無い。

イタコに降りた相手の真贋より、生きている人間の未練を、死んでしまった相手に対して、生きている限り果たせない未練を昇華させたい願望。
それこそがその根本にある。
民俗学における妖怪の存在と同じく、信じるか信じないかあなた次第などと言うが、自分の意思を死後の相手に伝えることができるなら信じてもみてもいい。
故人に話したいことがない人間にはシステム自体関係がない。

ニュータイプでもない人は、自分の中から出られない以上、相手が前にいようがいまいが、言語などを使いコミュニケーションを行い、その言語化した思いが勝手に伝わったという誤解をし続けて生きる動物でしか無い。イタコってのは、そんな人間の構造的欠陥からすれば必然の存在とも言える。

ところで「三体」を読むとその壮大さにクラクラする。
自分という存在の矮小さを突きつけられる。
遥か未来のいつか。
自分がもう存在せず、歴史に名が残ることもなく、その痕跡も爪痕もなく、誰一人覚える人はなく、見知った人らも全て死に絶え、誰かに省みられることもない。

何者かになりたい、などとよく言うが、今のところ明治や大正の初めに有名だった人のどれだけの人物の名前が残っているか。
何者か、なんてほとんどが自己満足でしかない。
仮に何かを成したとして、その名前が残るのは10年?100年?1000年?
仮に成したところで自分が死んでしまっては意味がない。

三体星人が地球を直接侵略するころ、自分の痕跡は地球上に何一つ残ってもいないだろう。
小さな人間でしかない存在が、数十年もその存在を周知させることができれば十分、結果たりえるのだろう。
でも「何かを成したい人」にとってそれは満足すべき成果なんだろうか。知らんけど。
やはり生きていなければ。
生きてこそナンボですよ。残念ながらこの残りの寿命を考えても、生きている間に延命も冷凍睡眠も不老不死も厳しそうなのが残念でならない。
数百年後、ブレイクスルーによって迎えた新しい未来を知ることはないだろう。
せいぜい、このアナログからデジタルへと遷移する未熟で斜陽の日本において、残りの人生を楽しみ生きることにするしかない。


遥か未来に想いを馳せても仕方がない。

とりあえずガンサー的には、現行最強の百竜ガンスを作りたい。
だが百竜〜が生理的にダメなので困ってる。
そしてマルチは肌に合わず。
そもそもガンスはマルチ、蹴られるとも聞きますし(ランスも蹴られるんですってよ、奥さん!
結局、ソロでバルファルク周回して球集め。装備の拡充を図っているが、それにしても出ない。
球。
防具一式作ったのにガンスとランスが作れない。

ゲームなんて残りの人生をつかってやることではないだろうが、こう言う無駄もまた、何もなさなかった人生に相応しい気がしてくる。
何者かにはなれず、何もなさないはもう確定。
なにかを成したところで時間の壮大な流れからすれば砂粒ほどの価値すらない。
どこまでも人間の存在は瑣末なのだから。

両手に収まるそれだけで、自己満足できればそれでいいんじゃないだろうか。

*1:小説「三体」の重要人物