少年マンガからマッチョは追放されていない社会史

「ジャンプ」から消えたマッチョな主人公 少年マンガ ・マッチョ追放の社会史 | マグミクス

今、「ジャンプ」は再び黄金期に入ったのではないかと言われています。ただし冒頭で確認したとおり、その黄金期メンバーに、マッチョは入れてもらえませんでした。筋トレブームの今、マッチョの枠は読者へと委ねられたのです。……マッチョはどこへ消えたのか。いいえ、マッチョはずっと、ここにいたのです。

※以下はちょっと長いですが私見です。

ジャンプからマッチョな主人公が消えてしまったのでは?という記事。

社会史、と宣う割にはこれまでジャンプに掲載されたマッチョな主人公のマンガを時系列に並べてみましたというだけにしか読めないんですが、こういうのってひとつでも具体例があれば反証になってしまう。
社会史なのに社会をあまり語ってない。。。

以下は、そういうことではなく、主にジャンプや日本マンガの世界においての傾向としてのお話をアメコミと比較しつつ考えてみるといった内容です。



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「小さい」なのに「強い」

カムイ伝全集 第一部(1) (ビッグコミックススペシャル)

手塚治虫鉄腕アトム白土三平カムイ伝から
「小さな少年の姿でありながら強い」
という系統は存在していた。
近年では鳥山明ドクタースランプアラレちゃん」に繋がり、「ドラゴンボール孫悟空冨樫義博HUNTER×HUNTER」ゴンに流れていく。
外観とパワーに差をつけたキャラメイク。

ところがアメリカとなるとスーパーヒーローにはマッチョが多い。
もちろんイレギュラーはありますよ。
ナードなスパイダーマンや真っ赤な全身タイツのザ・フラッシュ。
資本主義の象徴アイアンマンはせいぜい細マッチョ。

外観はムキムキの大人。
かつスーパーパワーを秘めているアメコミヒーロー。
この辺は、黎明期のヒット作がスーパーマンだったことが影響しているのかもしれない。

堀越耕平僕のヒーローアカデミア」で、オールマイトがワンフォーオールを発動するとムキムキになる、なんてのもステレオタイプなスーパーマンのインスパイアですよね。
ヒロアカってアメコミ的なムキムキヒーローは少なく(もちろんエンデヴァーやらシュガーマンもいますが、幼い少年体型やら細マッチョが基本)幼い印象のキャラメイクになっている。

緑谷少年なんて重そうな鉄アレイを片手で上げ下げしてますけど腕は細い。
成長したってムキムキになるわけじゃなくてせいぜい細マッチョなんですよ。
ディラン相手にフィジカルで押し負けそうですが。

女性キャラに至っては、ボディビルダーWWEのリングに上がれそうなリアルなマッチョはおらず、ふくよかでナイスバディなヒーローが多いのもわかりやすい。


なので日本のフィクションは
「肉体的に未成熟な少年(少女)が(超常的、機械的)パワーを得て戦う」
という図式が多い。

この辺は横山光輝鉄人28号」「ジャイアントロボ」にしろ少年が巨大なパワー(ロボ)を操っていた時代から続いてる。
機動戦士ガンダムアムロ・レイみたいなナードの少年が巨大ロボットに乗り込み戦う、なんてのもこの系譜。
ラジコン操作で外にいるか、パワードスーツ的に中に乗り込むか、の差ですから。

少年、少女である外観とスーパーパワーとのギャップがある種のカタルシスに繋がりやすい。
少年(少女)というのは、未成熟で成長の伸び代がある。だから成長物語を描ける。
修行したり、閃いたり、困難を乗り越えて新たな成長を遂げる。

反対にアメコミヒーローの場合、ターザンの昔からして物語の最初からムキムキな成人。
なので物語中、成長の伸び代は少なめ。
どちらかと言えば過去との訣別や現在の人間関係、それらに葛藤しパワーが発揮できず、誰かの助けにより払拭され、最終的に勝利という図式が多い。

成長物語


以前「ドラゴンボール」のパワーインフレ*1について書いた気がするんですけど、悟空みたいにパワーが行ききると次の主人公を立てて、新たな成長物語にシフトしたくなる。

本来、強さって一回リセットしないとどうしようもないんですよね。
そこで「ドラゴンボール」は悟飯を立て、悟天を立てたが結局、どのシリーズにも初代主人公である悟空が登場せざるを得ず、悟空を再び少年化させる荒技*2まで使ってシリーズを延命しようとしたのは前代未聞かもしれない。

成長しきった大人がさらに成長する、なんてもの現実ならムキムキになるか、資格でも取るところを悟空の場合は、界王拳だの超サイヤ人3だのと理屈をつけていくことで強さの説得力にした。
生半可な修行風景だけでは「強くなった」という物語中の説得力が弱いわけですよ。
だからそこに「界王様から」うんたらくんたらという但書をつけることで説得力にしている。

この辺はジャッキーチェン辺りのカンフー映画の影響かもしれない。
鼻の赤い爺さんに杖で叩かれながら修行することでパワーアップ。
外観がムキムキになる必要はなく、要は
「◯◯拳」という技術が使える→だから勝てる
という説得力。
魔法とかスキルみたいなものですよ。
基本は、これでそこに色々な枝葉をつけることで物語が構築されていく。


一方、アメコミヒーローの場合は修行パターンが少ない。
どちらかと言えば生まれついて持った能力の本領発揮できていない、それが何かしらのきっかけで本気のパワーを出せるようになるパターンが多い気がする。

さらにバットマンやアイアンマンのようなブルジョワの場合、外装によって強化されたということで説得力をつけることができる。
大人ですから。
筋トレしたってしれてるんですよ。
大人は金ですよ、金。

ジョジョとスキルと

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険」は「ドラゴンボール」のパワーインフレに対して、世代交代とスタンドという「能力」のスキルによってインフレを克服した。
最初期のシリーズこそシンプルな波紋という呼吸から発動する技術だったが、それをスタンドという概念に変化させることで能力に幅を持たせてバリエーションを増やすことに成功。
そしてジョースター家から連なる一族の物語にすることで、シリーズごとにインフレを落ち着かせて、新たに一から始める。
ドラゴンボールの世界でどれだけ時間がたっても頭に輪をつけた悟空が全盛期の姿で登場するのと違い、「ジョジョの奇妙な冒険 Part3 スターダストクルセイダース」ではPart2の主人公ジョセフ・ジョースターが年老いて登場する。

スタンドや吸血鬼は非日常的だが、時間が経てば、人間は老い、死ぬ日常的な世界。
どんな願いも叶える道具はないから死ねば死ぬ。
それで終わり。
シリーズが変われば、新たな世代に再び能力や強い意思が受け継がれ、物語は続いていく。

リーチ差

日本のジャンプ的ヒーローとアメコミの差はやはり現実とのリーチ差でもある。
だって実際に子供が修行しても身長3mのムキムキ怪人相手に戦って勝てない。

アメコミヒーローのようにマッチョな成人男性だったり、パワードスーツを着ていたら、現実だってなんとかなる可能性はある。

そこに日本人とアメリカ人がフィクションに対して感じるリアリティの距離感の違いがあらわれているようにも感じる。
(この辺を日本人の精神性や幼児性とか語っちゃうひともいると思いますが、ここでは飛ばしつつ...)

宮下あきら魁!!男塾」、北条司シティハンター」にしろ武論尊原哲夫北斗の拳」にしろ、文脈として劇画からの影響というのは無視できない要素。

日本において大人向けのマンガは劇画だった。
いとうたかおゴルゴ13」や弘兼憲史課長島耕作」などのように劇画には現実とのリーチが短めの作品(内容が現実的とは言わない)が多い。

劇画は、現実とのリーチが短い。
だからこそ主人公が大人であるほうが自由度が効く。
現実で子供を主人公にすると学校の問題や経済的な問題は避けられない問題になってしまうし不自由が多い。
それに想定読者も大人である以上、主人公が大人である方が感情移入を促しやすい事情もある

ヒロアカが学校を舞台にしてるのも少年主人公の問題解決としてわかりやすい。
芥見下々「呪術廻戦」、芦原大輔「ワールドトリガー」もある種の学生という立場、学校を舞台にすることで少年の成長物語を描いてる。
物語構造的にはどれも似てますね、もちろんディテールは違いますが。

あるいは「ドラゴンボール」や「HUNTER×HUNTER」「ワンピース」のように舞台を異世界にしてしまえば、その辺りのリアリティは無視できる。
学校?何それ?美味しいの?

結局、読者がそういったリアリティ/否リアリティをどこまで受容できるのか?というのは大きな部分で、それこそアメリカのマッチョな成人男性が小さな少年主人公に感情移入できるのか?とか反対に日本のナードの読者がムキムキマッチョで無敵のヒーローに感情移入できるのか?とか、想定読者層の面も当然ある。
ジャンプは未だに想定読者も大人ではないのだから(昔より上がってはいるでしょうが)、少年主人公は多い。
そこより上の世代となればヤングジャンプに誘導したい...けれど歳を重ねてもジャンプを卒業せず未だにジャンプ読者は多い。

マッチョ追放令

ジャンプにおいてマッチョな主人公が追放されているか?といえばどうですかね。
ゼロですかね?
藤本タツキファイアパンチ」なんて結構マッチョだった印象ありますけどね?


ただ近年の作品に「ジョジョの奇妙な冒険」や「HUNTER×HUNTER」の存在や影響があることは否めない。
これはジャンプ作品だけに限りませんが。
要は「肉弾戦&頭脳」という両刀使い漫画が増えたのは傾向としてあるかもしれない。
ヒロアカの緑谷少年などは典型。

少年誌(特にジャンプ)において肉体に振り切ったマッチョな主人公の存在はそもそもが少数の徒花であって、日本のマンガ主人公的文脈から外れ、大人向けの劇画やハリウッドなど映画の影響を受けて時折登場するもの。
必ずしも排他されているとは思えない。

雑誌ごとの方向性がありますからね。
昔ならジャンプは王道、サンデーは知性派、マガジンやチャンピオンはちょっと不良っぽいものが多いとか。
マンガ雑誌はジャンプだけじゃないので。

今後、もしマンガがリアルタイムに現実に折り合いをつけていくのであれば女性の社会進出拡大を受けての女性主人公や大人、成人主人公は増えていくのではないか、とすら思う。
それは現実との距離感の縮小を意味する。

つまりマッチョは増加すらする可能性がある、とも思えるんですよ。
アメコミだって多様性、多様性。
それが社会にとっては必然・必要でも、フィクション作品にとっていいことなのか悪いことなのかはわかりませんが。
ただジャンプ編集部は頑なな体質ですからね....。

どちらにしろ「マッチョ追放」はまずないんじゃないですかね。
こちらからは以上になります。

*1:強くなる→新しい敵が登場→修行などで強くなる→新しい敵が登場→修行...を繰り返していくことで際限なくスケールや強さを増すしかない

*2:ドラゴンボールGT