爆笑問題 太田光の見識のなさにはがっかりですよ

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・いじめはもちろん許される行為じゃない
・ネット炎上するのは納得いかない
刑事罰はいいが社会罰を許せば無法地帯だ

だからってどうすればいいかという意見がない。
だから中身がない。

太田光の意見を要約するとこんな感じか。
まともに時事を斬れないなら爆笑問題としても致命的。
そろそろ引退を考えてはどうでしょうね。

※以下、これまでに書いたことと大差ありませんので既視感ありの方はご容赦を



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メディア=増幅装置

テレビやラジオなど、メディアは増幅装置。
局や芸能事務所は、増幅効果を利用し、タレントの知名度を上げ、収益を得る商いを確立した。

一般人を特殊な存在であるかのように飾り立て、有名人として広く知らしめる。
有名であることと何かに優れていることは必ずしもイコールではないが、そんな虚飾がメディアを介することでまかり通ってしまう。

放送メディアは、電波を寡占する放送局という特権的な機関が発信を担う。
だから情報のコントロールがしやすく、バイアスも操作できる。
時にはスポンサーの顔色を伺い、時には政権の顔色を伺い、ゴシップを取り上げ視聴者の目を逸らす。

ベッキー

ベッキーは、サンミュージックからおはガールの一員としてデビュー。
やがて好感度上位のタレントとしてお茶の間に知られ、CMやバラエティ番組に引っ張りだこの存在に。
これらはメディアという増幅装置によって得られた虚飾の「人気」
ただの人が「ただの人」でなくなり、「特別なタレント」になる。

ところが2016年、不倫が発覚。
連日、マスコミはスキャンダルを報道。
一夜にして人気は急落。

ベッキーの"明るく元気で楽しい"イメージはメディアによって、とてもよくコントロールされ、重宝され、お茶の間に届いていた。
しかしベッキーというタレントが私人として行ったマイナスイメージになる行為が伝わった途端、プラスだったタレントのイメージが逆効果になりマイナスを増幅(ブースト)。

元々、マイナスイメージのタレントがマイナスになる行為をしてもそれほどダメージはない。
坂上忍が何を言おうが、梅沢富美男が何を言おうが。
とろサーモン久保田が何を言おうが。

だがベッキーは、メディアにより明るくクリーンなキャラクターを付与されていた。
プラスイメージが大きかったからこそ、マイナスイメージも同様にブースト。

元々、タレントはメディアにより価値をブーストされることで多くの収益をあげる。
知名度の低い、イメージの悪いタレントより知名度の高い、イメージのいいタレントの方が収益性が高い。

マイナスイメージがブーストされれば、タレントに対しての社会罰に繋がるのも必然。
メディアの力を使う人気商売とメディアによる社会罰は表裏一体。
マイナスとプラスが違うだけでしかない。

メディアの力を利用し価値を増幅することで実際の価値以上に収益をあげるタレントが社会罰を受けることと、普段メディアとは無関係な生活を送るただの一般人が社会罰を受けてしまうこととは全く異なる。

無法地帯


人が人を裁いていいもんじゃない。裁くのは司法じゃなきゃいけない。それを守らないと、この世界は無法地帯になってしまう

太田光の発言に戻る。
いわゆる今回の小山田圭吾に対するバッシングが起き社会罰のように機能したことを指している部分。

だが太田の言う司法(刑事罰)は、当然ながら司法のルール(俎上)に乗らなければ刑事事件として扱われない。
逮捕、告訴されなければ事件の対象にすらならない。

今回、言われているのは刑事事件ではなく、刑事事件未満の事象。
さらに刑事事件に対して私刑が行われたわけではない。

池袋の暴走事故であれだけ悲惨なことになり、加害者は「無実だ」などと言っている現状。
だが一般の怒りの声はあくまでも意見でしかない。
SNSで加害者が「上級市民」と揶揄されても。
刑事事件は影響を受けず、刑事罰を量刑すべく裁判は粛々と行われる。
刑事事件は、刑事罰を与えるべく司法の手にあり、SNSの声が届くところにはない。

仮に池袋暴走事故の加害者が、正義を名乗る義憤に燃えた一般人によって襲撃される事件が起き、その犯人が多くの声で支持されれば、司法の権威が失墜し、確かにそれは「無法地帯」と呼べるかもしれない。

だが法治国家である今の社会システムでは、司法がそれなりに機能し無法地帯にならない*1

太田光という漫才師は、SNSに対して理解がない。
理解しようとしない、できない。
だから不安しかないし、筋違いに「無法地帯」などと言ってしまう。

その時代の価値観

当時の雑誌が、それを掲載して、これを許容して、校閲通っている。(当時)サブカルチャーにそういう局面があったということ。その時代の価値観と今の時代の価値観がある。その時代の価値観を知りながら評価しないとなかなか難しい

難しいも何も、断言してもいいが、障害のある人に対する一方的な虐待とも言えるようないじめの告白が是とされるような文化は過去にもない。
サブカルを気取る雑誌が悪ノリし、それを掲載したとしても、その読み手側にも同じ価値観があり、それが受け入れられ文化として、娯楽として広く普及した(太田の言う「その時代の価値観」)とでも言うのだろうか。

サブカルチャーはあくまでサブカルチャーでしかなく、マイナーかつアングラだからこそカウンターカルチャーだった。
時代の価値観どころか、一般の認識と乖離した悪趣味、悪ノリ。
サブカルチャーはあくまでもサブカルチャー
いじめはメインカルチャーにおいては改善されるべき社会問題だったし、カウンターカルチャー気取った雑誌がそれを是として載せても一部の悪趣味なサブカルクソ野郎を除き、読み手側の多くは嫌悪した。

この一部のライターや編集者の低い倫理観を「その時代の価値観」と?


当時、インターネットは普及していなかったからこそ掲載されたいじめの暴露は、当時の読み手に受け入れられなかったとしてもそれは広がることなく一部の人間の間で認識され、唾棄された。
クイックジャパンやロッキンオンがどれだけの人間に読まれ、小山田圭吾という存在がいったいどの程度知られていたろう。

小山田圭吾は無視し続けたが、みんな忘れなかった。
謝罪のようすも見せず、後悔することもなく。
ただ無かったことにし続けてきた。
ケツをまくり続けた結果、現代まで語られ続け、ネットに載り、掘り下げられることになった。

ただそれだけにすぎない。

悪の武勇伝

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例えば前田日明赤井英和の武勇伝みたいなものは存在するし、本人も吹聴している。
赤井英和が電車の端から端まで不良に喧嘩を売ったとか、前田日明が暴走族数十人相手に乱闘したとか。

だがそれらは「当時の悪かった連中同士の喧嘩話」であって、一方的に障害を持った相手に対して虐待を加えるような行為と同一ではない。
もちろん不良同士の自慢話も褒められたものではないが、一方的な暴力はどんな時代でもみっともない話だし、恥じるべき話でしかない。

暴力はいつの時代も暴力。
「雑誌に掲載されることで、その時代の免罪符を得た行為であったから、行為と当時の文化もまた前提として判断しなければならない」という太田光の腑抜けた認識は、頭が悪くてクラクラしてくる。


前述したように、芸能人はメディアによるブーストを利用し、情報を広め、その収益を増加させる。
収益を得るためブーストをかければ、マイナスの情報に対してだってブーストがかかる。
その効果は情報の内容に対し取捨選択を行わない。

ベッキーの時、そのマイナスのきっかけを作ったのはメディアとマスコミであり、さらにSNSが追従しさらにマイナスのブーストをかける結果になった。

だが小山田圭吾の場合、直前に迫った「愛と感動をお茶の間にお届けする」オリンピックを棄損したくないメディアは追従しなかった。
代わりにコントロール不能SNSがその勢いを加速させ続け、マイナスのブーストをかけまくった。
コロナ禍でのオリンピック、パラリンピックに対する不審不満。スポンサーの顔色を伺いマッチポンプをするメディア、政府、組織委員会への懐疑。
それらもマイナスのブーストが加速する一因になったのは間違いがない。
そしてその声が大きくなり続け、メディアも取り上げ、それは海外にまで届き、組織委員会も仕方なく対応せざるを得なくなった。

これがもし、いち雑誌社のスクープでしかなければ多くの他メディアが追従しない(スルーする)ことでどうとでもなったかもしれない。
ジャニーズなど大手事務所のタレントが犯した不手際で見かける光景。
日本人は、喉元過ぎれば熱さ忘れるとメディアに舐められている。


しかし自身が語った記録があり、その上、よりにもよって関わるのがオリンピックパラリンピックという国を代表するコンテンツだったことでSNSのブーストは無制限にかかり、恣意的なメディアの報道も、タレントによる擁護的な意見も、全て否定されることになった。
これらが重なったのは致命的だったろう。

私刑警察

刑事罰は、人間という不特定多数の不安定な存在が社会というシステムを形成する上において不可欠であるが、社会罰は不必要な現象である。
感情に任せた私刑は必要ない。
それは理解できる。

だが少なくとも既存メディアがこれまで行ってきた魔女狩りのような不倫タレントの炙り出しや、バッシングは、一般市民による社会罰を与えるための誘導として機能していたし、させてきた。
SNSに拠る声を簡単に見下し「石を投げる」「炎上」と呼ぶ頭の悪いタレントは多いが、これまでメディアがやってきたスクープだのと果たして何が違うのか。

たしかにSNSは暴走しやすい。
信頼性に欠ける場合も多い。
だがテレビや新聞、雑誌のように既得権益にコントロールされたメディアが果たして健全か。

メディアによるコントロールされたバッシングは是、SNSによるコントロールの難しいバッシングは否。
そんな道理はない。

繰り返すが、メディアによりプラスのイメージを増幅させてきたタレントが、メディアによってマイナスのイメージを増幅させてしまい社会罰を受けてそれを批判的に感じるのは、本来おかしい。
さんざ人気商売としてメディアの影響を利用しておいて批判された途端、社会罰だ、無法地帯だなどと宣う。

タレントが、労働に対し多すぎる対価を得ることができるのは、メディアによる増幅効果でしかない。
メディアを通すことは、仕事の価値自体を上げるわけではない。
増幅されることで多過ぎる収益得て、その知名度が仇をなして社会罰を受けることは、果たして理不尽ないじめだろうか?

過去の悪事が知られるのが嫌なら街頭に立ってギターでも弾いていればいい。
街角で漫才を披露していればいい。
それに応じた収益が得られ、代わりにどれだけの悪虐非道な過去も問題にならない。
メディアは諸刃の剣。


こちらの意見に同意。

太田光がまず懸案すべきは、己が依存せざるを得ないにも関わらず、現状、正しいことを正しいと、間違っていることを間違っていると言えないテレビなどの大手メディアに対してではないのですかね?
もしテレビ、雑誌や新聞において適切に情報が取り扱われればSNSに対して懐疑的な見解も理解できる。

だが今のメディアは少なくとも信頼に値しない。
表面でばかり正しさを叫び、既得権益に都合のいい側面ばかり取り上げ、大事なことからは目を逸させ、多角的な意見を取り扱うと言いながら体制寄りの発言ばかりが重宝される。

コロナ禍のオリンピックに懐疑的だった報道がいつの間にかニッポン頑張れ、愛と感動にすり替えられる。
スポンサーの意向を反映し、スポーツ選手の露出が増え、特番を組み、ワイドショーもバラエティも不必要なくらいスポーツ寄りの内容に様変わり。
そんな無節操なメディア、どこをどうすれば信頼に足るんでしょうね。

太田光には、本当にがっかりですよ。
お笑い芸人の見識に期待してたわけじゃないですが。

*1:検察が腐り、体制に対し機能しないせいで司法の信頼性は低いものの