「引用」「オマージュ」「再構築」

最近、イラストレーターのトレース疑惑が話題ですが、それほど興味ないんですよ。
ただその流れでご本人が弁明として「引用」「オマージュ」「再構築」と言ったと聞いて、いやいや、さすがにそりゃあねぇだろうが、と。
まさか2022年初の記事がこれとは。

ファッションにおける解体と再構築

まず「再構築」は頭に再と付きますからその前に「解体」がある。
解体と再構築はワンセット。
解体されていないものを再構築できない。
バラしてないものを作り替えるなんてできないわけです。

この解体と再構築という概念、ファッション業界では珍しくないんですよね。
元々、コムデギャルソンの川久保玲ジュンヤワタナベマンの渡辺淳弥、メゾンマルタンマルジェラの元デザイナーであるマルタン・マルジェラも行ってきた手法。

クラシックな衣服を一度解体、新たに組み直すことでその服の意味を問い直す。
服は作られれば、モノとして意味を持つ。
それを解体してまた繋ぎ直す。

過去に何度か書いたのですが、マルジェラにはアーティザナルラインと呼ばれるラインがある。
例えば中古の蝶ネクタイを使って作ったドレス。
蝶ネクタイという男性の襟元を飾る目的の布がドレスとして縫い直されることによって、その「男性」「襟元」というその布が持っていた本来の意味を「女性」「衣服」と完全に変えてしまう。
「解体」と「再構築」という手法は、本来の「モノ」持つ意味をバラしたりすることで「解体」し、新たな形に作り直すことで「再構築」し新たな意味を与え、それによって本来的な意味に対しても懐疑的に、存在に対する疑義を呈するわけです。

モノを解体する→意味を解体する
モノを再構築する→意味を再構築する

「解体」と「再構築」はいわば意味を解体するため、意味を再構築するためモノに対して行う。
ところが今回のイラストレーターというのは、写真の構図を真似する、トレースするというやり方でこれは「再構築」でも何でもなく単なる模倣としか呼べない。
そもそも解体されてないものを、見たまま真似してるんではね。
ファッションの世界だって、まるまんまの模倣は色々アウトですよ。

訴訟騒ぎ

真似といえばZARAなんかは結構やらかしが多い。
あそこはストリートを歩いてる人の着てる服から流行を探してそれをデザインに落とし込むもんですから当然どこかのブランドの模倣にならざるを得ない。
デザインにコストを割かない分安いし、真似するからそれっぽいわけですが。
これも解体と再構築とは呼べないですよね。
何一つ解体してない。

www.wwdjapan.com
訴訟騒ぎも一件じゃない。

www.chosakai.or.jp
日本のブランドリラクスとZARAの裁判はリラクスが勝訴したりしてる。

ブランドのデザイン模倣は御法度です。
とはいえ、見つからずに平然とやってる某邦ブランドもあったりしますけどね...はぁ。

ラップにおけるサンプリングとリスペクト

あとオマージュとか、リスペクトだとか何だとか。
こう言うのはラップの世界でも多い。

例えば既存の曲をサンプリングしてトラックに使いそこにラップを乗せたりするのはメジャーな手法。
去年話題になったSTUTSx松たか子「Presence」もドラマの劇中曲をサンプリングして加工してる。
これは同じドラマの劇中で使われた曲だから何も問題ないですが、ラップ界隈で無許可で勝手に使ったりして大ごとになった例は枚挙にいとまない。

ただ大ごとになったと言っても元曲の一部を切り取って使うのが大ごとになるんですよ?
曲を丸々サンプリングしていなくても訴訟になる。
写真をまんま模倣してそれを「オマージュ」だそうですが。
なかなか面白い。
リスペクトの割にリスペクト元の人が全然ありがたみも感じてない。
リスペクトがない、迷惑に感じるならそれはオマージュでも何でもないですよね。


さらに引用ってのは、引用元を明示して初めて引用。
勝手にやって後になって「アレは引用でした」は引用ではない。

引用は文章なら文章が主、引用元が従の関係でなければならない。
構図を真似するのは引用とは呼べないですね。

いい模倣悪い模倣

anond.hatelabo.jp

この、いい模倣悪い模倣みたいなのが苦手だ。
今更オリジナリティなんてハナクソつけてパクーよ
ってスタンスでいいじゃん。
なぜジョジョはよくて古塔はダメなのか

こういう増田みたいな”そっちこそどうなんだ主義”(Whataboutism)ってなんの益もなくてとても辟易とするんですが、少なくとも筋書きのある漫画と今回のような一枚絵で完結するイラストを同列で語るべきでもない。
仮にそれが問題になれば(模倣だと言うのであればそれは模倣元が問題と言い出せばいいのでは?)それはそれとして扱えばいい。
そもそも筋が違う。

媒体が違えば必ずしも模倣がダメかどうかは変わってくるなんて当然の話なんですよ。
イラストは絵画と同じように扱うべきで、漫画のように何十枚の絵と話で構成される媒体と同列ではない。

媒体が違えば判断が変わる、関係性が違えば判断が変わるなんて当たり前のこと。
例えばお笑い芸人のギャグなら売れてる、メジャーな、誰のものかわかるものを模倣してもそれはセーフですけど、売れていない芸人のギャグを売れている芸人が無許可で使い、それが流行り、売れていない芸人が不服に思えばそれは問題になるかもしれない。
法的と言うか、その辺は倫理的、同義的レベルでしょうが。
ギャグというものを知財として扱うには厳しい。

平原綾香「Jupiter」はパクリだとか、ダメだとか、アウトだろとか、真似だからレベルが低いとか。
模倣という問題を簡単に一義的な判断ができないってことなんですけどね。

アレはアレでありなのはどういうことかって、増田はその辺からもう少し考えたほうがいいと思いますけどね。
世の中はそんなに簡単じゃあない。

例えば和歌の世界なら本歌取りがある。

本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。
例えば、
古今和歌集』巻2 94番歌紀貫之
三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ」
万葉集』巻1 18番歌額田王
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや」
本歌取 - Wikipedia

ただ当時でも「他人の歌を使うのはいかがなものか?」という声があがった。

俊成の子・藤原定家は、『近代秀歌』・『詠歌大概』において、本歌取の原則を以下のようにまとめている。
本歌と句の置き所を変えないで用いる場合には2句以下とする。
本歌と句の置き所を変えて用いる場合には2句+3・4字までとする。
著名歌人の秀句と評される歌を除いて、枕詞・序詞を含む初2句を本歌をそのまま用いるのは許容される。
本歌とは主題を合致させない。
本歌として採用するのは、三代集・『伊勢物語』・『三十六人家集』から採るものとし、(定家から見て)近代詩は採用しない。

だから藤原定家は、本歌取りでも重要なのは元は有名な歌で、それがはっきりとわかる(明示的である)とまとめてみせた。

模倣=即時アウトではないですよ。
ただイラストに関し、その対象に許可もなく、またそれが広く知られていることもないモノを使っていれば状況も変わる。
モナリザの構図を真似して、モナリザを意図していると伝わったとしてそれがパクリと判断されるんですかね?
有名な、誰でもわかるものの一部を使うのと、あまり知られていないものの一部を使うのはそれだけで判断が異なる、なんてのは知財なんて概念のなかった大昔から存在した。

だから今は知財という概念がある。
揉めれば裁判制度もあるんですけどね。

言い訳

www.bengo4.com

仮にイラストレーターの方も再構築とおっしゃるのであれば何を解体して、何を再構築したのかちゃんと説明しなければダメ。
元の写真から何が再構築されて元の写真の持つ意味性や意義がどう変わったんですかね。

勝手に写真の構図まんまでイラスト起こして、それのどこに「解体」と「再構築」があるんだよ、と。
公開しない、趣味レベルでやる習作なら別に無許可でもいいでしょうが、それを売って商売やるのはそりゃあダメでしょう。

「再構築」ってのは、そんな簡単に便利に使っていい言葉でも概念でもない。
単なるヘタクソな模倣を誤魔化すために使っていい言い訳じゃないんですよ。

オマージュと口にするのに模倣する元作品の対象や作者相手に感謝も感じられない。
「再構築」という割に何一つ「解体」していない、「再構築」もされてない。

いい歳した大人がそれで商売をやってメシを食ってるんですから。
子供だましではなく、もっと上手い言い訳を考えて欲しかったものです。