コンプライアンスと可能性と

最近は、エルデンリングも落ち着いたのでブログの更新でも。

可能性

昨夜、水曜日のダウンタウンで「若手芸人コンプライアンスでがんじがらめにされても従わざるを得ない説」ってのをやってたんですよ。
news.yahoo.co.jp

「罰ゲーム」「下ネタ」「コロナ対策」「反社+α」の四つの過剰な対応を皮肉った内容。
BPOから指摘の多い水曜日〜がひどいディストピアを描いてみせる内容。
中でも「下ネタ」の囲碁将棋。
料理コーナーでレシピを読み上げるたびにディレクターから「”皮を剥く”というのは下ネタに受け取られる可能性があるので言葉を変えていただいて...」などなどと無茶を言われる言葉狩り
エリンギと椎茸が映って「男性器を想像させる可能性があるので...」と言われ、キノコの傘を切り取る等々。

可能性を言われりゃ、そりゃあそうですが、果たしてそこまで過剰にやらなきゃならないのか、ってのが面白い。

細かいところはTverでも観ていただくとして、気になったのは「可能性」ってやつなんですよね。
コンプラを扱うときに可能性ってワードが頻出する。
不思議なのはいつも「可能性」が「ある」ってやつで。
これが「可能性」が「高い」ならわかるんですよ。

「暗い夜道を女性が独りで歩いていると暴漢に襲われる可能性が高い」
「荒れた海に船出すると海難事故が発生する可能性が高い」
「今日は、夕方から雨になる可能性が高い」

可能性に対して「高い」というワードがつく場合、その事象が十分起こり得る、起こり得てもおかしくない事象を指す。
事象にもよりますがパーセンテージなら50%を超えた辺りからが「高い」かも知れない。

未来でその出来事がほぼ起きる→だから対応しよう

でも「可能性がある」のこの「ある」ってのはよくわからない。
あるならなんだってありますよ。

未来でその出来事が起きないとは絶対にはいえない→だから対応しよう?

ロシアが北海道に攻めてくる可能性はあるし、北海道がロシアのものである可能性、中国が侵攻してくる可能性、実はトランプが大統領になっている可能性だってある。
ワクチンを打つとWi-Fiに繋がる可能性、巨大な隕石が落ちてくる可能性、地震が起きる可能性、暴漢に刺される可能性、ゲリラ豪雨に遭う可能性。
痴漢に間違われる可能性、道路を歩いていて車が突っ込んでくる可能性。
歩きスマホで階段から転げ落ちる可能性、宝くじが当たる可能性。
金持ちの親戚が死んでお金が転がり込む可能性。
明日、死ぬ可能性も、今すぐ死ぬ可能性もある。

可能性が「ある」ってのは0ではない、0.0000000.......001でも「ある」なんですよ。
あるって言い回しはとても曖昧で、含みを持たせることでその相手に推測を丸投げする。
だから「可能性がある」と聞いて
「可能性があるだって!じゃあ90%だ!」
って人もいれば
「可能性がある?あるわけないだろ...せいぜい10%か」
って人が出てしまう。

因果関係

犯罪が起き、よくあるのが「犯人の部屋にはアニメのポスターが...」云々ってやつで。
これは宮崎勤以降のマスコミの定番のやり口。
(あれ自体は、マスコミの捏造というのが明らかになったはずですが)

一つの報道の中で犯罪者とアニメのポスターを報道することで因果関係があるように見せる。
いわゆるモンタージュ効果という奴ですが。

アニメのポスターと犯罪に因果関係はない。
研究結果はないですからね。
世の中にアニメのポスターを貼っていない犯罪者とアニメのポスターを貼った犯罪者の数を比較したデータがあるならまだしも、そんな調査はされたこともない。
それに生まれてこのかた一切アニメを見たことがない人間とアニメを見たことのある人間を比較してそれぞれの犯罪率を調べないとダメですがなかなか難しいでしょうね。
とはいえアニメが存在しない昔からあらゆる犯罪が存在したわけですが。

もちろん因果関係が存在する可能性はありますからね。
でもね、
「部屋に包丁が置いてある人間は犯罪を犯す可能性がある」
「部屋にテレビが置いてある人間は犯罪者になる可能性がある」
ツイッターにアカウントのある人間は犯罪を犯す可能性がある」
「トイレと風呂のある部屋に住む人物は犯罪を犯す可能性がある」
「生きている人間は犯罪を犯す可能性がある」

「可能性が高い」と「可能性がある」はイコールではないのに同じだと考えてしまう輩はとても多い。
有害図書が最近話題ですが、有害図書が一体何をどうするから有害なのか、は語られない。
だって有害図書の基本はすべて「可能性がある」なので。
ろくなエビデンスもないまま「可能性がある」で運用され続けている。

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例えば前述した水ダウの「エリンギが男性器に見える」ですが、もちろん可能性はあるわけですがじゃあ「どうして男性器に似た形のキノコが映ることが有害なのか」の議論はない。
まさか「テレビに映ったエリンギを見て女性を襲うことにした」って奴が現れるかも知れないからですかね。
でもそれなら「女子アナを見て女性を襲うことにした」の方が充分ありそうだし、「キャーキャー言われるジャニーズを見て〜」も可能性はある。
テロを起こす犯人が「住宅会社のCMを見たらあんな家を建てることができる金持ちが許せなくて〜」って可能性もある。
何事も可能性は「ある」んですよ。
Whataboutismでなくて、どれも充分に是。
因果は不明なのに可能性を言うわけですから。

少なくとも今の社会を構成する人々は、そんなコンプライアンスが緩かった時代に多感な若者時代を生きて成長してきた。
今、社会を形成している多くの人はそんな緩かったコンプライアンスの悪影響を受けて歪んだ人ばかりなんですよ。
「自分の歪んだ思考は〇〇のせいだ」と思っているからそれを規制しようとするのかも知れない。
歪んだ人が作るから歪んだ社会になってる。
でもあなたが歪んでいるのは、あなたとあなたの周囲のせいでしかないんですけどね。

コンプライアンスがどんどん厳しくなる、これからは漂白され綺麗になった素晴らしい社会が待ってるんでしょう。
自分はごめんですが。

抵抗力


月刊ムーみたいな雑誌ってある種、陰謀論をエンタメとして消化するための大事なツールだったりする。
エリア51とかね、Xファイルの世界。
ムーを読んだりしてあぁいったものを昔から摂取していると昨今の陰謀論を見ても「なんかディテールが甘いなー」とか「ちょっと稚拙すぎるだろ」ってツッコミしか思い浮かばない。
ロシアのプロパガンダなんて雑すぎて、よくアレを間に受けるよな、とか。

ある種ワクチンというか、摂取した月刊ムーが体内で抵抗を作ってるのかも知れない。
陰謀論に引っかかる人というのは月刊ムーみたいなものから隔離され育ってきた結果、「ネットで真実」に出会い信じてしまう。

真面目すぎるんですよ。
適当に受け流す、清濁合わせ飲む、それができない。
社会は毒や欺瞞が溢れているのに。
歪んだ情報への抵抗が弱い。

それらの「有害」な情報やコンテンツから隔離し、遮断することで育ち、抵抗が作られない精神が果たしてどうなるのか。
それこそ実証実験が必要なんじゃないだろうか。
社会は汚く、醜く、愚かな人だらけで、それを全て避けて生きることなんてできないのに。

自分は人間がそこまで愚かとは思っていない。
「〇〇を見る」→「犯罪を犯す」そんな単純ではないと思っている。
でも悪影響とか有害とかを容易に叫ぶ人っていうのは、自分以外は愚かで、簡単に影響を受け、簡単に犯罪を犯すものと思っているのかもしれない。
人間は、生きているだけで外的刺激を受け続けているし、外的(害的)刺激を一切遮断して生きることなんてできない。
犯罪とは生きた結果、間違って選択してしまった結果であって「〇〇に原因がある」なんて単純に原因を辿れるものじゃあない。
人間は簡単に答えを求めるし、単純化したがる。
だから「犯人は〇〇の影響を受けた」と思いたい。
報道もよく犯人の動機が云々ってやってますけど、それがわかるのは本人だけであって語られるのはその一部でしかないはずなんですよね。

何かを規制したければ規制すりゃあいいですが、その結果、社会は良くなるんですかね。
規制するならその結果どうだったのか、の結果がなければダメでしょう?
なぜ「〇〇を規制した結果社会はこれだけ良くなった」と言わないんですかね。
これまでに色々、数多く規制してきたわけですが、その結果、今の日本社会は良くなったんですか?

良くなると確証があるならまだしも、良くなるかどうかはわからないが「自分は不快に感じるからこれはダメなんだ」なんてのは何の論証にもならない。
あなたの快不快を基準にされても困る。

多様性のある社会は「さまざまな多様性を受け入れる」社会のはずですが、昨今見ていると少なくとも「さまざまな多様性を考えすぎて、誰かが不快に感じないか気にしすぎて、逆に多様性を抑圧し始めている」
そんな風にしか見えないんですがね。
気のせいですか、そうですか。
そりゃあよかった(棒)。

どんなディストピアが待ってるのか知りませんけど、そんなコンプライアンスを守り、有害とされるものが排除され綺麗に漂白されたクソな社会は、自分が死んだ後に達成してほしいものです。
自分はまったくもって善人ではないので綺麗な水には生きづらいんですよ。


繰り返しますが、もちろん可能性はありますよ。
誰にでも何にでも。
でも一番影響があるとすればそれは、アニメでも漫画でもなく、親や友だち、周囲の人間や環境なんじゃないんですかね。
可能性を口にするときは、その前に少し考えてみてはどうですかね。